「努力」論の三回目です。「努力とは何か」の冒頭で、私は次のように述べました。
元々、卓上RPGは「努力しなくてもよい」ものだよなぁ、という話。もっとも、それは「滅んだ」ので、「努力しなくてもよかった」というべきか。
「努力しなくてもよいRPG」が滅んだ、とは即ち、「努力しなくてはならないRPG」しか無くなった、ということです。まずは両概念の定義から。
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- 2011年08月27日 : 「努力」とは何か
- 2011年09月02日 : 努力しなくてもよいRPG
- 2011年10月03日 : 努力しなくてもよかったRPG
「努力」論の三回目です。「努力とは何か」の冒頭で、私は次のように述べました。
元々、卓上RPGは「努力しなくてもよい」ものだよなぁ、という話。もっとも、それは「滅んだ」ので、「努力しなくてもよかった」というべきか。
「努力しなくてもよいRPG」が滅んだ、とは即ち、「努力しなくてはならないRPG」しか無くなった、ということです。まずは両概念の定義から。
玄兎さんの論考「遊びに費やすコストとか」に刺激を受けた考察です。先に「努力とは何か」で述べた考察に基づいて、いよいよ「努力しなくてもよいRPG」と、その対極にある「努力しなくてはならないRPG」について述べます。
前回、三種類の「努力」を挙げました。一般に「努力」とされるものは、後の二種類ですが。
これらをそのまま卓上RPGのゲームプレイに適用すると、次のようになります。
玄兎さんの下記論考を拝読し、改めて思い返したこと。元々、卓上RPGは「努力しなくてもよい」ものだよなぁ、という話。もっとも、それは「滅んだ」ので、「努力しなくてもよかった」というべきか。
私の論考では、「コスト」ではなく、「努力」として語ります。さもなくば、私がなぜ「努力しなくてもよかった」とするのか、ご理解いただけないでしょうから。