Analog Game Studies(AGS)に掲載された下記論考について、私なりの理解を述べます。
- 齋藤路恵「会話型RPGにおけるメタ化」
この論考で齋藤氏は、「メタ化」「(自己)相対化」「ネタ化」「他者化」という四つの視点を取り上げ、各々が「会話型RPG」(私が言うところの卓上RPG)に及ぼす影響について説いています。これら各視点について、私は次のように解釈しました。
- 2009年02月22日 : メタゲームって何?
- 2009年02月25日 : メタって何?
- 2009年02月27日 : 卓上RPGの階層構造の基本
- 2009年05月06日 : 卓上RPGにおけるメタゲーム
- 2009年05月15日 : 悪いメタゲームの話
- 2009年05月19日 : メタゲームの強弱非反
- 2009年07月07日 : キャラクターの中のメタ
- 2009年07月09日 : 冒険者の中のメタ
- 2009年07月10日 : 探索者の中のメタ
- 2009年07月10日 : リアルなキャラの中のメタ
- 2009年07月31日 : キャストの中のメタ
- 2009年08月17日 : プレイヤーの中のメタ
- 2009年08月25日 : 友人とゲームを遊ぶメタ
- 2009年08月27日 : 仲間とゲームを遊ぶメタ
- 2009年08月29日 : 理想のゲームを遊ぶメタ
- 2009年08月30日 : ゲームで物語を作るメタ
- 2009年09月09日 : 私のゲームを遊ぶメタ
- 2010年08月29日 : 遊び方を選ぶメタ
- 2010年09月11日 : シーン制を選ぶメタ、選ばないメタ
- 2011年02月17日 : ネタ化とは、上から目線のメタメタ
Analog Game Studies(AGS)に掲載された下記論考について、私なりの理解を述べます。
この論考で齋藤氏は、「メタ化」「(自己)相対化」「ネタ化」「他者化」という四つの視点を取り上げ、各々が「会話型RPG」(私が言うところの卓上RPG)に及ぼす影響について説いています。これら各視点について、私は次のように解釈しました。
「遊び方を選ぶメタ」の例として、「シーン制」について考えてみます。
「シーン制」という用語は、いまだ定義が明確になっていません。そこで私は独自に、「TORG型シーン制」と「FEAR型シーン制」との二つを定義し、それ以前の時空間処理法と比較して考察しています。
ここでは「プレイヤーの中のメタ」に基づいて、各「メタ」の持ち主が二つの「シーン制」のどちらかを選ぶ時、あるいはどちらをも選ばない時、どのような心理が働くか、について記します。
卓上RPGには、多種多様な「遊び方」があります。同じゲームシステム、同じ世界設定を用いても、それらをどのように活用して遊ぶかは、人によって様々です。このため一緒に遊ぶ相手次第で「遊び方」が変わり、多様なゲームプレイを体験することができるのです。このような楽しさの幅広さは、卓上RPGの特長のひとつといえます。
しかしながらゲームプレイへの参加者によって、「遊び方」への関心は様々です。例えば、次のような三通りの態度に大別することができます。
「プレイヤーの中のメタ」の5番目(最後)は、卓上RPGを自分用の、一人用ゲームとして遊ぶ場合。他の四種との違いは、ゲーム参加者を「自分」と「自分以外」とに分ける点です。
コンベンションに単身参加、ゲームプレイが終わるまで赤の他人と過ごし、終われば別れる。仲間意識を持つでなく、一緒に何かを目指すでもない。このように遊ぶなら、複数人で遊ぶ卓上RPGも、一人用ゲームと変わりません。他の参加者は、自分が楽しむための道具として必要なのです。コンピュータゲームを遊ぶためのコンピュータのように。
このようなプレイヤー(ゲームマスター)の内面には、次のような階層構造があります。
「プレイヤーの中のメタ」の4番目は、卓上RPGで小説や映画のような物語を作る場合。「理想のゲームを遊ぶメタ」の一例です。
卓上RPGはストーリーを作るゲームであるから、ゲームプレイの展開が小説や映画のようになるのが理想である。このような「理想のゲーム」像を背景に、その実現を目指して皆で協力していきます。
この場合、次のような階層構造が成立します。
「プレイヤーの中のメタ」の3番目は、理想的なゲームプレイを目指す場合。
卓上RPGを遊ぶからには、その最高のゲームプレイを味わいたい。そう思うのは、ごく自然な欲求です。ただ漫然と遊ぶのではなく、理想に近づけるように努力しよう、協力し合おう。そのような意志を、皆で共有するところにも悦びを感じるのです。甲子園を目指す野球部のように。
このようなプレイヤーが内包するのは、次のような階層構造です。
「プレイヤーの中のメタ」の2番目は、同じゲームを趣味とする仲間同士で遊ぶ場合。
たとえ初対面であっても、同じ趣味を持つ者同士と分かっていれば、友人のような関係を結ぶことが可能です。野球好き同士が野球で、釣り好き同士が釣りで盛り上がるように、卓上RPG好き同士は卓上RPGで意気投合できます。できない人もいますが。
このようなプレイヤーの階層構造は、次の通り。基本的には、「友人」と同じです。
「プレイヤーの中のメタ」の1番目は、ゲーム以前からの友人同士で遊ぶ場合。
元々の友人同士が、ある時卓上RPGを持ち込んで、皆で遊んでみることにした。このようにしてゲームプレイを始める事例は、RPG黎明期では多くがそうでしたし、今でも少なからずあることでしょう。卓上RPGへの、最も原始的な参加形態と言えます。
このようなプレイヤー(ゲームマスターを含む)には、次のような階層構造が成立します。
ここまでは「キャラクターの中のメタ」として、「冒険者/探索者」「リアルなキャラ」「キャスト」といった階層構造について述べてきました。ここからは、それらの上位にある「プレイヤー階層」(プレイヤーとゲームマスター)内部の階層構造について考えてまいります。
「キャラクターの中のメタ」に対して、プレイヤーは更にメタな位置から、それらを俯瞰/解釈/評価し、干渉します。例えば「冒険者」であれば、キャラクターの作成や行動に次のように働きかけていきます。
「キャラクターの中のメタ」の4番目は、「キャスト」について。それをPCの呼称とするトーキョーNOVAに限りません。
「キャスト」(Cast)とは演劇や映画における「配役」のことであり、ストーリー上の重要な役割が俳優に配されること(キャスティング)です。卓上RPGでは、PC全員をまとめて「冒険者」などとするのではなく、PC一人一人に個別の役割が配されるゲームプレイを指す、とします。
このようなゲームプレイが生まれた背景には、「リアルなキャラ」への反省もあったのでしょう。個々のリアリティを練り合せるためには、手間暇(コミュニケーションと時間)が必要です。さもなくば、参加者同士で解釈が食い違い、シナリオ進行が停滞し、そしてゲームプレイは破綻します。また、真に小説や映画のようなストーリーは、その世界のリアリティから生まれるのではなく、その登場人物が担う役割によって構築されるのです。