今回は、「ドラマ作成ポイント」を採用したルールシステムのデザイン例を示します。前回示したものとは異なる「予断の内容の不一致」対策も組み込んでおります。ここではプレイヤー用ルールのみ、名前はまだ無い。
00 卓上RPG全般の記事リスト
- 2006年11月01日 : 悩むのは誰か
- 2006年11月13日 : 悦ぶのは誰か
- 2006年11月19日 : あなたのRPGは、自由か平等か
- 2006年12月30日 : 時空の表現法三種
- 2007年01月08日 : ストーリー付き攻略ゲーム
- 2007年01月19日 : プレイヤー無能説の誤り
- 2007年02月16日 : 苦しいことを楽しむこと
- 2007年02月21日 : カテゴリーを生む違和感
- 2007年07月01日 : 情報収集行動三種
- 2007年07月11日 : 導入設定三種
- 2007年12月04日 : 論考を書くのは楽しい
- 2007年12月04日 : 論考は役に立たない
- 2007年12月07日 : 論考をどう評価するか
- 2007年12月10日 : 論考データベースに意義はあるか
- 2007年12月16日 : DISではなく批判 > mimizuku004さん
- 2007年12月21日 : 誰が、どこで、定義するのか
- 2007年12月25日 : 理論と論考、実践と技術
- 2008年03月02日 : 『深淵』改竄案
- 2010年07月30日 : 私家版:『馬場秀和のマスターリング講座』目次
- 2010年12月05日 : 論考サイト「AGS」開設へのお祝い
- 2012年02月20日 : 平成24年2月の近況と「鏡理論」のこと
- 2013年08月15日 : 「冬の時代」という虚構
- 2014年01月29日 : 楽しむ娯楽と楽しまされる娯楽、楽しませる義務と...
- 2015年03月16日 : ゲーマーズフィールド誌上で唱えられた「TRPG冬の時代」
- 2015年09月15日 : 「皆が楽しい」という虚構と、その害悪
- 2015年09月23日 : TRPGはゲームではない、と考えてみる
- 2015年12月30日 : 宗教としてのTRPG
- 2016年05月10日 : TRPGを一言で説明してみる
- 2016年05月18日 : 金色老子さんのsystemにおける首ナイフ
- 2016年05月19日 : CD&Dにおける首ナイフ
- 2016年06月02日 : 首ナイフのリアリティ
- 2016年08月31日 : 誰が誰に首ナイフするのか
- 2016年10月09日 : 「予断の不一致」とドラマ作成ポイント
- 2016年10月17日 : 「ドラマ作成ポイント」採用ルールシステム例
「誰が誰に首ナイフするのか」で述べた「ルールと予断との不一致」は、「ドラマ作成ポイント」を採用したルールシステムでは生じません。しかしながら、そこでは別の「不一致」が生じ、より重篤な問題を起こす恐れがあります。以下、起こりうる問題とそれへの対策について述べます。「首ナイフ」というよりはルールデザイン論。
前回予告した通り、今回は「首ナイフ」における「常識の不一致」について考えます。より正確には、自分が「常識」と思っていた「予断」が、他の者が「常識」と思う「予断」とは、一致しなかった場合について。
まず、「予断」と「常識」、そしてルールシステムとの関係を示します。
「声の大きい」即ち「多数派の」意見は、しばしば「常識」(Common Sense)と称されます。「常識」とは、ある人々に共有される(common)認識(sense)のことで、必ずしも「正しい」とは限りません。「首をナイフで切られたら、頸動脈などの急所が傷つけられて、即死する」というのも、間違った「常識」のひとつです。
前回の続き。かつて新和社から和訳出版された『ダンジョンズ&ドラゴンズ』(Classical Dungeons & Dragons、以下CD&D)、特にそのベーシックルールを用いて、命題「首ナイフ」(首ダガー)を考えてみます。関連するルールシステムは、次の通り。
金色老子さんからトラックバックをいただきました。有難うございます。
- 首ナイフから律令、ゴールデンルール、真のルールsystemへ(から一部引用)
そもそもそういう世界観で起こりにくいことは事前にルールで決められていない。(作者も考えてもいないだろう)
CoCでも世界観的には首ナイフ云々よりサクッと死んで欲しいのではないだろうか。または別の死に方か。
銀河アズマさんのブログ記事「TRPGこぼれ話#276~TRPGを一言で説明しなさい~」を拝読。以下に一部引用。
TRPGが閉じたコンテンツ感拭えないのは一言でどんな遊びが説明できないから
この世の中に「一言で説明」できていることが何かあるのか、いささか疑問ですが。できないとか難しいとか言われると、やってみたくなります。私なりに「TRPGを一言で説明」すると、まずは次の通り。
警告。今回述べる「虚構」三論考三本目は、「宗教」論。難解かも知れませんが、蓋し不言言之。
人は「宗教」無しには生きられません。人は「善」「悪」の価値観に則って生きており、それら価値観を与えるものが「宗教」ですから。さもなくば人は、「何をしたら良いのか分からない」のです。仏教やキリスト教など「狭義の宗教」を信じない者も、何かを「宗教」とし、何かを「善」「悪」と信じて生きています。何を信じるのであれ、それを「宗教」とわきまえないと多大な害悪を及ぼします。
TRPGはゲームですよ、もちろん。当たり前でしょ?
TRPGのゲームプレイにおいて「皆が楽しい」ことが望ましい、と語られることがあります。しかしながら「皆が楽しい」という状態は、「実態」(Reality)が無い「虚構」(Fiction)です。「虚構」だからといって否定されるべきではありませんが、「虚構」を「虚構」とわきまえずに扱うと多大な害悪を及ぼします。