- 2009年02月22日 21:36 : メタゲームって何?
- 2009年02月25日 22:30 : メタって何?
- 2009年02月27日 23:43 : 卓上RPGの階層構造の基本
- 2009年05月06日 23:52 : 卓上RPGにおけるメタゲーム
- 2009年05月15日 23:56 : 悪いメタゲームの話
- 2009年05月19日 23:29 : メタゲームの強弱非反
- 2009年07月07日 22:45 : キャラクターの中のメタ
- 2009年07月09日 00:16 : 冒険者の中のメタ
- 2009年07月10日 01:13 : 探索者の中のメタ
- 2009年07月10日 22:59 : リアルなキャラの中のメタ
- 2009年07月31日 02:09 : キャストの中のメタ
- 2009年08月17日 23:54 : プレイヤーの中のメタ
- 2009年08月25日 00:48 : 友人とゲームを遊ぶメタ
- 2009年08月27日 00:13 : 仲間とゲームを遊ぶメタ
- 2009年08月29日 00:04 : 理想のゲームを遊ぶメタ
- 2009年08月30日 23:39 : ゲームで物語を作るメタ
- 2009年09月09日 23:25 : 私のゲームを遊ぶメタ
- 2010年08月29日 22:11 : 遊び方を選ぶメタ
- 2010年09月11日 23:20 : シーン制を選ぶメタ、選ばないメタ
- 2011年02月17日 21:59 : ネタ化とは、上から目線のメタメタ
07 メタゲームって何?
卓上RPGについて語る際に、「メタゲーム」という語が用いられることがあります。この「メタゲーム」なるもの、語る者はさも当たり前のように語るのですが、私にとっては定義がさっぱり分からない言葉でした。白状すると、大方、社会学辺りにかぶれた者が、その尻馬に乗って使い始めたのだろう、程度に思っていたのです。はい、これは間違いでした。白状すると共に、訂正します。
「メタゲーム」の前に、まず「メタ」という語について考えてみます。
この語は、例えば「自由」のように卓上RPGについて独自に用いられた語ではなく、他の学問から借用したもののようです。幾つか資料に当たってみましたので、私なりに理解したところをまとめてみましょう。以下、文中の「○○」は、任意の語が入る、という意味。
前回述べた定義に則り、卓上RPGにおける「ゲーム」に対する高次概念「メタゲーム」について考えてみます。つまりは卓上RPGの現場に「階層構造」を見出し、その関係が「メタ」なものになっているかを探っていくわけです。
まず、基本的に、というか、避けられないものとして、次のような「階層構造」があります。
- プレイヤー階層 : プレイヤーとゲームマスターとが、ルールブックや設定資料集、シナリオを用いて遊ぶ
- キャラクター階層 : キャラクター(PCとNPC)が行動し、舞台世界の状況を変えていく
先行する記事「メタって何?」と「卓上RPGの階層構造の基本」とに基づき、卓上RPGにおける「メタゲーム」について整理します。
- ゲーム (ゲームプレイ)
- キャラクター(PCとNPC)を行動させることで、舞台世界を変えていくこと。(広義のゲーム)
- キャラクター自身の知識などによって、キャラクターの行動を決めること。(非メタゲームとしてのゲーム)
- メタゲーム (メタゲームプレイ)
- キャラクターが知らない、プレイヤーやゲームマスターの知識などによって、キャラクターの行動を決めること。
キャラクターの行動を決める際、「キャラクターの知識や信条、都合など」と「プレイヤーの知識や信条、都合など」との、どちらを優先するのか。あるいは、端からどちらかしか無いのか。その違いによって、四種類の遊び方を想定することができます。
「メタゲーム」という言葉にこだわって、これらを「強いメタゲーム」「弱いメタゲーム」「非メタゲーム」「反メタゲーム」の四つに分類し、各々について考えてみます。
本カテゴリー「メタゲームって何?」の前半では、上位の「プレイヤー階層」(プレイヤーとゲームマスター)と下位の「キャラクター階層」(キャラクターと舞台世界)という二つの階層構造をあげて、その間にある「メタ」な関係について論じました。即ち、次のような関係。
- 上位階層(プレイヤー)は、下位階層(キャラクター)について、俯瞰し、解釈し、評価することができる。
- 上位階層(プレイヤー)は、下位階層(キャラクター)への解釈/評価に基づいて、それに干渉することができる。
- 下位階層(キャラクター)は、上位階層(プレイヤー)に干渉できない。認識することもできない。
そして、このような「メタ」な関係は、各階層の内部にも見出すことができます。
「キャラクターの中のメタ」の1番目は、ファンタジーRPGなどでよく用いられる「冒険者」。特に「メタ」な意味でのそれについて。
「冒険者」の原語は「Adventurer」で、直訳的には「Adventureする者」「危険を冒す者」「冒険好き」といった意味です。この呼称には二つの用法があり、ここではそのひとつ、プレイヤーがPCにさせることとしての「冒険する者」について論じます。もうひとつの、舞台世界において職業もしくは社会身分として認識されるような「冒険者」については、また別途扱います。
さて、このようなPCの内には、次のような「階層構造」が成立します。下記1「冒険する者」が最も上位にあり、より下位にある2「その能力」や3「その設定」を俯瞰/解釈/評価し、評価に基づいてそれらに干渉していきます。
「キャラクターの中のメタ」の2番目は、クトゥルフ神話TRPGの「探索者」について。基本は先の「冒険者」と同じで、その応用として紹介します。
「探索者」の原語「Investigator」は、「Investigateする者」「謎について調べる者」「調査好き」といった意味です。このようなPCでは、「探索する者」が最上位となって他を左右する、次のような「階層構造」となります。
「キャラクターの中のメタ」の3番目は、「リアルなキャラ」。そのゲームの舞台世界が本当にあったなら、きっとそこにいるであろう人物を、キャラクターとする場合について。
「リアルなキャラ」への希求は、おそらくは「駒としてのキャラクター」に対する反省から生まれました。空想の世界で遊ぶにせよ、単なる「駒」では飽き足らない。その世界なりのリアリティ(本当らしさ)を備えた人物、その世界に本当に生きているような人物を、己の分身としたい。このような想いは、良質な小説や映画から得られるような喜びを卓上RPGに求めた者にとっては、自然なことだったでしょう。
「リアルなキャラ」においては、何よりも「リアリティ」が優先されます。そのようなPCの「階層構造」は次の通り。
「キャラクターの中のメタ」の4番目は、「キャスト」について。それをPCの呼称とするトーキョーNOVAに限りません。
「キャスト」(Cast)とは演劇や映画における「配役」のことであり、ストーリー上の重要な役割が俳優に配されること(キャスティング)です。卓上RPGでは、PC全員をまとめて「冒険者」などとするのではなく、PC一人一人に個別の役割が配されるゲームプレイを指す、とします。
このようなゲームプレイが生まれた背景には、「リアルなキャラ」への反省もあったのでしょう。個々のリアリティを練り合せるためには、手間暇(コミュニケーションと時間)が必要です。さもなくば、参加者同士で解釈が食い違い、シナリオ進行が停滞し、そしてゲームプレイは破綻します。また、真に小説や映画のようなストーリーは、その世界のリアリティから生まれるのではなく、その登場人物が担う役割によって構築されるのです。
ここまでは「キャラクターの中のメタ」として、「冒険者/探索者」「リアルなキャラ」「キャスト」といった階層構造について述べてきました。ここからは、それらの上位にある「プレイヤー階層」(プレイヤーとゲームマスター)内部の階層構造について考えてまいります。
「キャラクターの中のメタ」に対して、プレイヤーは更にメタな位置から、それらを俯瞰/解釈/評価し、干渉します。例えば「冒険者」であれば、キャラクターの作成や行動に次のように働きかけていきます。
「プレイヤーの中のメタ」の1番目は、ゲーム以前からの友人同士で遊ぶ場合。
元々の友人同士が、ある時卓上RPGを持ち込んで、皆で遊んでみることにした。このようにしてゲームプレイを始める事例は、RPG黎明期では多くがそうでしたし、今でも少なからずあることでしょう。卓上RPGへの、最も原始的な参加形態と言えます。
このようなプレイヤー(ゲームマスターを含む)には、次のような階層構造が成立します。
「プレイヤーの中のメタ」の2番目は、同じゲームを趣味とする仲間同士で遊ぶ場合。
たとえ初対面であっても、同じ趣味を持つ者同士と分かっていれば、友人のような関係を結ぶことが可能です。野球好き同士が野球で、釣り好き同士が釣りで盛り上がるように、卓上RPG好き同士は卓上RPGで意気投合できます。できない人もいますが。
このようなプレイヤーの階層構造は、次の通り。基本的には、「友人」と同じです。
「プレイヤーの中のメタ」の3番目は、理想的なゲームプレイを目指す場合。
卓上RPGを遊ぶからには、その最高のゲームプレイを味わいたい。そう思うのは、ごく自然な欲求です。ただ漫然と遊ぶのではなく、理想に近づけるように努力しよう、協力し合おう。そのような意志を、皆で共有するところにも悦びを感じるのです。甲子園を目指す野球部のように。
このようなプレイヤーが内包するのは、次のような階層構造です。
「プレイヤーの中のメタ」の4番目は、卓上RPGで小説や映画のような物語を作る場合。「理想のゲームを遊ぶメタ」の一例です。
卓上RPGはストーリーを作るゲームであるから、ゲームプレイの展開が小説や映画のようになるのが理想である。このような「理想のゲーム」像を背景に、その実現を目指して皆で協力していきます。
この場合、次のような階層構造が成立します。
「プレイヤーの中のメタ」の5番目(最後)は、卓上RPGを自分用の、一人用ゲームとして遊ぶ場合。他の四種との違いは、ゲーム参加者を「自分」と「自分以外」とに分ける点です。
コンベンションに単身参加、ゲームプレイが終わるまで赤の他人と過ごし、終われば別れる。仲間意識を持つでなく、一緒に何かを目指すでもない。このように遊ぶなら、複数人で遊ぶ卓上RPGも、一人用ゲームと変わりません。他の参加者は、自分が楽しむための道具として必要なのです。コンピュータゲームを遊ぶためのコンピュータのように。
このようなプレイヤー(ゲームマスター)の内面には、次のような階層構造があります。
卓上RPGには、多種多様な「遊び方」があります。同じゲームシステム、同じ世界設定を用いても、それらをどのように活用して遊ぶかは、人によって様々です。このため一緒に遊ぶ相手次第で「遊び方」が変わり、多様なゲームプレイを体験することができるのです。このような楽しさの幅広さは、卓上RPGの特長のひとつといえます。
しかしながらゲームプレイへの参加者によって、「遊び方」への関心は様々です。例えば、次のような三通りの態度に大別することができます。
「遊び方を選ぶメタ」の例として、「シーン制」について考えてみます。
「シーン制」という用語は、いまだ定義が明確になっていません。そこで私は独自に、「TORG型シーン制」と「FEAR型シーン制」との二つを定義し、それ以前の時空間処理法と比較して考察しています。
ここでは「プレイヤーの中のメタ」に基づいて、各「メタ」の持ち主が二つの「シーン制」のどちらかを選ぶ時、あるいはどちらをも選ばない時、どのような心理が働くか、について記します。
Analog Game Studies(AGS)に掲載された下記論考について、私なりの理解を述べます。
- 齋藤路恵「会話型RPGにおけるメタ化」
この論考で齋藤氏は、「メタ化」「(自己)相対化」「ネタ化」「他者化」という四つの視点を取り上げ、各々が「会話型RPG」(私が言うところの卓上RPG)に及ぼす影響について説いています。これら各視点について、私は次のように解釈しました。
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