- 2007年06月22日 00:31 : 「進化」に至るまでの三段階
- 2007年06月23日 01:11 : 「楽しむ」から「楽しませてもらう」へ
- 2007年06月26日 23:02 : 「信じる」内容と難しさ (プレイ篇)
- 2007年06月27日 22:22 : 「信じる」内容と難しさ (デザイン篇)
- 2007年07月05日 22:37 : 情報収集の「進化」
- 2007年07月13日 22:16 : 導入部の「進化」
- 2007年07月29日 23:07 : その他の「進化」三例
- 2007年08月10日 23:55 : 「進化」以前の一風景
- 2007年08月13日 00:23 : 「進化」直前の一風景
- 2007年08月17日 23:41 : 「進化」を導いたもの
- 2011年06月13日 22:24 : リプレイはアメリカ生まれ
04 国産TRPG「進化」考
わが国産の卓上RPGシステムには、日本独自の「進化」が多々盛り込まれています。これら新奇なデザインが世に現れるまでには、しばしば似たような展開が見受けられます。
即ち、ゲームシステムのある部分について…。
- システムをそのまま素直に用い、問題がない段階
- システムが想定しない使い方をし、問題が発生する段階
- その使い方に合うようシステムを改め、問題が解決する段階
卓上RPGを遊ぶのは、「楽しむ」ためである、と答えない方はおそらくいないでしょう。しかし、その各々が言う「楽しむ」という語が意味するところは、必ずしも同じではありません。
ここでは「楽しむ」の内容を、「皆で楽しむ」、「自分が楽しむ」、「楽しませてもらう」の三つに分けて、考えてみます。
ここでは、「信じる」ことと「信じない」ことの推移についてまとめます。先んじてお断りしたいことが二点。
第一点は、「信じる」「信じない」と善悪とは必ずしも関係が無い、ということです。「信じる」とはリスクを背負うことであって、見合うメリットや覚悟も無しに行なうべきことではありません。何であれ不用意に信じれば、自分のみならず周囲の人間にも迷惑を及ぼしますし、そうなってから責任を信じたものに課すこともできません。信じれば良い、というものでは無いのです。
第二点は、ここで述べるのは、ゲームプレイにおいて、その参加者が他の参加者を「信じる」か「信じない」か、の話だということです。私がどこかに書いた(と思う)「FEAR製RPGはユーザーを信じていない」というような、デザイン上の「信じる」「信じない」については、別途述べることとします。
前のエントリーでの予告通り、卓上RPGのゲームシステムをデザインする上で、そのユーザーを「信じる」か「信じない」か、について述べます。ここでも、やはり善悪は関係なく、あくまでも設計思想の違いです。そしてデザイナーが「信じる」か「信じない」かの内容は、ユーザーのプレイ能力や楽しもうと努める姿勢となります。
シナリオプレイにおいて、場所や物品の調査、文献の読解、NPCとの会話などを通して何らかの情報を得ようとすることを、総じて「情報収集」と呼びます。そのための行動の例は、こちらに挙げました。シナリオ形態によってはこれらが無い場合もありますが、プレイ中盤戦のほとんどをこれに費やすことも少なくありません。
「情報収集」の過程では、行動によって情報が得られ、また情報から次の行動が導き出される、という行動と情報の相互関係が見られます。しかしながらその相互関係の解釈には、次の二種があります。
更に三つの「進化」例について、細かい説明は端折って、その段階のみを示します。どれも私の個人的経験に基づく、主観的なものです。トラックバックで突っ込みが入ったり、気が向いた場合は別エントリーにてまとめ直すかも知れません。
あらゆる「進化」が同時に発生したわけではありませんから、すべての第一段階が必ずしも同居していたわけではありません。しかしながら、あくまでも一つの極論として、既に挙げた第一段階がすべて集まって成立したゲームプレイを想像してみましょう。
第一段階と同様、すべての第二段階もまた同時にあったわけではありません。しかしながら、これも一つの極論として、色々な第二段階が集まって成立したゲームプレイを想像してみましょう。
第二段階でゲームプレイの中に求められた「楽しみ」は、従来のゲームシステムからそのまま得られる第一段階の「楽しみ」とは異なるものでした。それ故、新しいゲームシステム(ルールシステムやプレイ技術)への「進化」が必要となったのです。
そのような(第二段階の)「楽しみ」が求められるようになった背景には、ゲームシステム以外のものからの影響があった、と考えざるを得ません。少なからず影響を与えたものとして、私は次の三者を挙げます。
- 2011年6月15日更新 : RWS管理人さんから『Call of Cthulhu』(英語版、第1版)ルールブックには「リプレイの文章」は無いとの情報をいただき、本文を訂正いたしました。有難うございました。
「リプレイはアメリカ生まれ」という標題は、間違ってはいませんが、正確でもありません。「リプレイは日本生まれ」と言うのと同じくらいに。どちらが屁理屈か、とかは、読者が自分の責任で判断されたし。
まず、「リプレイ」に関する三つの文章を引用します。
意外に思われるかもしれないが、実はアメリカには、リプレイなんて読み物は存在しない。日本が、それもSNEが生み出した完全にオリジナルな文化なのだ!
...ベーテ・有理・黒崎『ソードワールド2.0リプレイfrom USA(1), 蛮族英雄―バルバロスヒーロー―』(富士見書房、2010) p.7
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