- 2007年08月30日 23:47 : 卓上RPGを「自由」に遊ぶ
- 2007年09月02日 08:20 : 「自由」とは何か
- 2007年09月05日 22:28 : 「自由」と「自由」が争う時
- 2007年09月10日 23:51 : 卓上RPGにおける「自由」
- 2007年09月12日 00:06 : 卓上RPGにおける「管理」
- 2007年09月16日 00:18 : 制限の中の自由、制限の中の管理
- 2007年09月22日 22:49 : 意図は命令、理想的な遊び方可能説
- 2007年09月24日 22:34 : 鏡式「意図」と「管理」について、他
- 2007年09月30日 23:25 : 井上純弌氏が説く「自由」の誤解
- 2007年10月02日 21:19 : 「結果の自由」ではなく「行動の自由」
- 2007年10月08日 22:56 : シナリオクラフトは「自由」か
- 2007年10月25日 00:31 : 管理は評価から生まれる
- 2007年10月30日 21:48 : シナリオクラフトは「理想的な遊び方」か
- 2007年10月31日 23:48 : 自由があること、許されること
- 2007年11月01日 22:01 : 「自由度」と「自由」とは別物
- 2007年11月11日 22:57 : 「管理」を、「甲冑」に喩える
- 2007年11月12日 21:12 : 「自由」を、「スタンドプレイ」に喩える
- 2007年12月15日 22:36 : 事前目標優先の例、他 > xenothさん
- 2007年12月15日 22:59 : 管理下の自由度、他 > acceleratorさん
- 2007年12月19日 22:27 : 反省をネガティブとするネガティブさ
- 2007年12月21日 22:54 : 反省に耐えられないのも現実、他
- 2007年12月25日 23:30 : 「無駄な忍耐」も事前評価
- 2007年12月27日 22:49 : 自由の弱点はご指摘の通り
07 「自由」に遊ぶ 理論篇
このカテゴリーでは、卓上RPGにおける「自由」、卓上RPGを「自由」に遊ぶこと、について考えてまいります。
まずは卓上RPGに限らずに、「自由」というものについて考えてみます。この語の意味は、辞書では次のようになっています。
- 「自分の心のままに行動できる状態。思うまま」(小学館国語大辞典)
- 「他から制限や束縛を受けず、自分の意志・感情に従って行動する(出来る)こと。また、その様子」(三省堂新明解国語辞典)
もう少し、「自由」全般についての考察を重ねます。
「自由」とは「私はこうしたい、こうすべきだ、こうしよう」といった「自分の決断」によって行動することである、と述べました。もし、ある者の「自由」と他の者の「自由」とが相容れないものであった場合は、どうなるでしょうか。争いがおき、勝った方のみ「自由」を保ち、負けた方は放棄することになるのでしょうか?
ようやく、卓上RPGの話です。
卓上RPGを「自由」に遊ぶとは、ゲーム参加者が皆、「私はこうしたい、こうすべきだ、こうしよう」といった「自分の決断」によってゲームプレイに関与し、それがそのまま過程や結果に活かされることです。ここでいうゲーム参加者にはゲームデザイナーも含まれ、三通りの「自由」が共存することとなります。
「管理」されて遊ぶ場合についても、まとめておきます。一応先に言っておきますけど、私はここでいう「管理」を悪いものとは考えておりません。どちらも一長一短、むしろ「管理」の方が長所が大きいくらいです。
こちらでは、ゲーム参加者の中に「管理する者」と「管理される者」との関係が築かれます。「管理する者」が伝えようとする「君はこうしたいはずだ、こうしなくてはならない、こうしなさい」という「意図」を、「管理される者」が適確に受け止め、団結してその通りにゲームプレイを構築していくことになります。基本的には、次の二通りの関係があります。
ggincさんにトラックバックをいただきました。有難うございます。
- 議論のネタとしては適切だったらしい (ggincさん、GOD AND GOLEM, Inc. -annex A-)
後半を拝読するのを楽しみにしていますが、取り急ぎ「自由」やら「意図」やらについて。
ggincさんからトラックバックをいただきました。貴論考も私にとって大変勉強になっております。厚く御礼申し上げます。
さて、遅くなりましたが、貴論考でのまとめについて私の考えを記します。訂正ではなく、補足として。
- RPGにおける3つの遊び方─典型的・アクロバティック・理想的 (ggincさん、GOD AND GOLEM, Inc. -annex A-)
- 2007年08-09月のRPG論考まとめ (同上)
ggincさんからお返事をいただきました。感謝と共に、毎回の素早い対応に敬意を表します。
- 鏡さんと私の「3者関係」構図の違い,そして「段階的な運用」について (ggincさん、GOD AND GOLEM, Inc. -annex A-)
残念ながら、まだ私の考えを伝え切れていないようです。分かり難くて恐縮ですが、「鏡(2007)の用語まとめ」を次のように訂正させていただきます。「意図」を全文改め、「管理」も追加しました。
アルシャードガイアRPGサプリメント『エブリデイマジック』の序文で、井上純弌氏は「シナリオクラフト」という遊び方を「自由なTRPG」と評しています。しかし私は、そもそも彼が説く「自由」にひどい誤解がある、と考えています。
以下、序文「Dream Comes True」から引用しつつ、その誤りを正してまいります。まず、冒頭の一文。
回転翼さんからトラックバックをいただきました。大変良いご指摘に感謝します。
- 「自由」と「何をやってもよい」の間は「=」か「≠」か (回転翼さん、RPGコラム『うがつもの』)
今回は井上純弌氏が説く二種類の「自由」、即ち「何をやってもいい」ことと「準備しなくていい」こととが、「シナリオクラフト」で本当に実現されているか、考えてみます。
xenothさんからトラックバックをいただきました。有難うございます。
- TRPGについてもの思う (xenothの日記)
- TRPGの自由について物思う (xenothの日記)
xenothさんの論考は、まさに「管理」の背景にある発想、「管理」を生み出す考え方であろう、と私は考えました。即ち、「面白いゲームプレイをやりたい」「つまらないゲームプレイはやりたくない」という欲求こそが「管理」を求めるのです。以下、その辺をつらつらと。
結論は「YES」なのですけど。
「理想的な遊び方」とは、gginc(高橋志臣)さんが提唱された三つの遊び方のひとつです。初出は同氏のブログですが、同じ概念がScoops RPGでは「理想主義的な運用」として、次のように定義されました。
「自由」についての論考を方々で拝読し、一度確認しておくべき、と考えたことについて書きます。トラックバックは特に送りません。ひとつめは、「自由がある」ことと、その「自由が許される」こととについて。
私は、「自由がある」ことと、その「自由が許される」あるいは「認められる」「受け入れられる」こととは、別の問題である、と考えています。少なくとも、別に考えた方が良い、と。
「自由」について確認しておくべきことを、もうひとつ書きます。「自由度」と「自由」とは別物だ、ということについて。
ここらで気分転換。最初のエントリーで触れました「喩え」について書きます。
しばらく前、「管理」とは喩えるなら「甲冑」のようなものだなぁ、と考えを巡らしていたところ。突然思い出したのが、次のセリフです。テレビアニメ「新世紀エヴァンゲリオン」から。
前回と同様、今度は「自由」を喩えるセリフを、やはりアニメ作品から見つけました。二件ともそうなったのは偶々で、馴染みの無い方には分かり難くて恐縮ですが。
こちらは「攻殻機動隊」からの引用。
おそらくトラックバック障害のため気付かなかった、xenothさんからの問いにお答えします。遅くなりましたことをお詫び申し上げます。
- TRPGの面白さについて物思う (xenothの日記)
- 再び、TRPGの自由について、ものおもう&鏡さんへの質問 (xenothの日記)
acceleratorさんから、再度トラックバックをいただきました。労をお掛けしたことをお詫びすると共に感謝申し上げ、遅ればせながらお返事をしたためます。
- 自由度の切り分け 共同ゲームデザイン 行動宣言およびシーン作成における選択肢の幅 (acceleratorさん、ブレーキをかけながらアクセルを踏み込む)
こちらの記事に、xenothさんからトラックバックをいただきました。有難うございます。
- 事前目標優先の例、他 (xenothの日記)
xenothさんからこちらへのトラックバックをいただきました。毎度有難うございます。
- 反省会って言葉は本当はネガティブじゃないかもしれないけど、例えば初対面の人とそこまで分かり合うのは難しいなぁ (xenothの日記)
- モチベが大切な理由 (同上)
xenothさんからトラックバックをいただきました。有難うございます。
- 無駄な忍耐はしたくないなぁ (xenothの日記)
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