- 2007年01月29日 22:59 : カテゴリー「論考レビュー」について
- 2007年02月13日 21:16 : 「プレイヤーシーン」について
- 2007年02月14日 22:05 : 「敷居の高さ」と嗜好の関係
- 2007年02月27日 21:55 : カテゴリー化の理想と現実
- 2007年03月01日 22:45 : 脳内のFEARゲーマー
- 2007年03月04日 23:30 : パンティ爆発を語るを語る
- 2007年06月08日 23:35 : 誰が「FEARシステム」を嫌うのか
- 2007年08月02日 00:17 : 卓上RPGで自己実現などするな
- 2009年06月25日 21:59 : セッション失敗恐怖症
03 論考レビュー
物事を真に理解できたか否かを計るには、そのことを自分自身の言葉で語り直してみるというのが有効です。「レビュー」には「批評、論評」の他に「再調査、再吟味」の意味もあり、このカテゴリーでは後者の意味も含めた「レビュー」をしてまいります。
紙魚砂さんの「プレイヤーシーン」は、「場面」処理の歴史上、大変興味深い提言です。論考レビューの最初はこれについて考えてみます。
論考レビュー二つ目は、回転翼さんが説く「ゲームマスターの敷居の高さ」について。
回転翼さんが「うがって」くれましたので、約定(ブログの説明文)に則り別エントリーにてお返事を。
他人様の「脳内」に突っ込みを入れるなど無粋の極みではありまするが、nagafutimasatoshiさんの「脳内」に見られる「FEARゲーマー」について、「カテゴリーを生む違和感」の例として。
回りくどいタイトルの今回は、オンラインではなく、RPG雑誌における記事を扱います。
- 友野詳「バカバカRPGを語る」第5回「パンティ爆発」
(Role&Roll誌Vol.26、p.54~55、新紀元社2006年10月発行)
久々の論考レビューは「FEARシステム」について。
ここでいう「FEARシステム」とは、「シーン制」「シーンPL制」「ハンドアウト」「ゴールデンルール」などのFEAR製RPG特有の技法を組み込んだルールシステムのこと。取りあえず以下の四論考を拝読しました。
- FEARシステムを批判する前に、全てのTRPGユーザーは自省すべきだと思う (hige_gunさん)
- F.E.A.R.製品に関する建設的なコメント (ggincさん=高橋志臣さん)
- 書く予定まとめの、1.FEARゲーの功罪分析 (紙魚砂さん)
- こんなにリアクションがあろうとは… (再び、hige_gunさん)
政治ネタばかり続いたので、standbyさんが書かれた「自己実現」云々について一言。あらかじめ言っておきますと、standbyさんが「自己実現しろ」と仰っているわけではありません。タイトルは私個人の見解のみにて。
「セッション失敗」に関して、私の考察を示します。特に、「失敗すること」や「失敗したくないこと」ではなく、「失敗しちゃいけないと思うこと」「失敗に恐怖を感じること」について。
参考にしたのは、B.W.さんの「大失敗に学ぶ」や「いつ、どこでなら失敗してもいいですか?」を発端とする、紙魚砂さんとxenothさんとの議論。
- 紙魚砂「失敗しちゃいけない環境って何それ?:(^^;」
- xenoth「失敗しちゃいけない環境とゴールデンルール」
- xenoth「シーン制の源流」
- 紙魚砂「いちおうつっこみ:(^^;」
御二方の記事はその後も継続していますが、追いつけていませんので、そちらは省きます。御容赦。
まず、私なりの理解。紙魚砂さんとxenothさんとは、次の一点については合意されています。
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