- 2006年11月01日 22:24 : 悩むのは誰か
- 2006年11月13日 22:21 : 悦ぶのは誰か
- 2006年11月19日 23:13 : あなたのRPGは、自由か平等か
- 2006年12月30日 21:27 : 時空の表現法三種
- 2007年01月08日 21:19 : ストーリー付き攻略ゲーム
- 2007年01月19日 21:27 : プレイヤー無能説の誤り
- 2007年02月16日 23:49 : 苦しいことを楽しむこと
- 2007年02月21日 22:17 : カテゴリーを生む違和感
- 2007年07月01日 22:17 : 情報収集行動三種
- 2007年07月11日 23:01 : 導入設定三種
- 2007年12月04日 00:10 : 論考を書くのは楽しい
- 2007年12月04日 22:44 : 論考は役に立たない
- 2007年12月07日 22:14 : 論考をどう評価するか
- 2007年12月10日 22:26 : 論考データベースに意義はあるか
- 2007年12月16日 00:06 : DISではなく批判 > mimizuku004さん
- 2007年12月21日 23:39 : 誰が、どこで、定義するのか
- 2007年12月25日 23:19 : 理論と論考、実践と技術
- 2008年03月02日 23:00 : 『深淵』改竄案
- 2010年07月30日 23:46 : 私家版:『馬場秀和のマスターリング講座』目次
- 2010年12月05日 21:47 : 論考サイト「AGS」開設へのお祝い
卓上RPG考
プレイヤーが悩むことについて、紙魚砂さんが面白そうな文章を書かれています。ゲームマスター視点でまとめられていましたので、私はプレイヤーの立場で考えてみます。
プレイヤー側がいつ悩むのか、どういう状況で葛藤するのかを考えると、「プレイヤーとそのキャラクター(PC)のどちらが悩むのか?」でタイプ分けができます。
半ば溜息のような呟きに、紙魚砂さんが応えてくださいました。感謝。
拝読し、技術的なところについては納得しました。
で、私の方はまた「悩む」の時と同様「誰か」について考えてみます。つまり上記のような技法を使う相手はどういう人物なのか、ということです。「誰と遊んでいるのか」という環境は、次の三通りが考えられます。
nagafutimasatoshiさんが「二極化」について書かれていますが、私はその分岐点が「プレイ時間」や「PCの活躍」についての「自由か平等か」辺りにあるだろう、と考えています。
言うまでもなく、プレイ参加者(プレイヤーとゲームマスター)にとっての時間・空間と、それぞれが受け持つキャラクターにとっての時間・空間とは、全くの別物です。ここでは、キャラクターにとっての時空をゲームプレイ上どのように表現するか、その三つの方法について考えてみます。
卓上RPGを「ストーリー付き攻略ゲーム」として遊ぶことが可能です。ご紹介しましょう。
結構昔のことですが、「プレイヤーはゲームマスターが期待するほど有能ではない、プレイヤーは無能(もしくは馬鹿)だと思ってシナリオを作ってちょうど良い」という見解が説かれたことがありました。RPG雑誌の紙面を飾ったことすらあったように憶えておりますから、当時それなりに認められていたらしいこの意見を、私は勝手に「プレイヤー無能説」と呼んでおります。
しかしながら、この「プレイヤー無能説」は間違っている、と私は考えています。
同じ漢字を用いていても、「楽しい」(たのしい)ことと「楽しむ」(たのしむ)こととは違う、と私は考えます。「苦」の対照概念である「楽」(らく)というのもありますが、これもまた別です。
ブログの「カテゴリー」ではありません。例えば、トーキョーNOVAやアルシャードなどをまとめて「FEARゲーム」(あるいは更に語尾を略して「FEARゲー」)と呼んでみたり、ある種の遊び手をひっくるめて「FEARゲーマー」と称するようなやつのことです。そういう「カテゴリー」を生じさせるのは「違和感」である、という話です。
覚書。「情報収集のためにPCに取らせうる行動」を、三種十行動にまとめてみました。
1. 受動的情報収集
ゲームマスターが与えたキーワード(場所や人物)を素直に返せば、それで情報が得られるので、「受動的」です。
- 「調べる」…特定もしくは不特定の場所や物品から、何らかの情報を得ようとする。
- 「読む」…特定もしくは不特定の文書資料から、何らかの情報を得ようとする。
- 「話す」…特定もしくは不特定の登場人物から、何らかの情報を得ようとする。
シナリオプレイの導入部で各プレイヤーキャラクター(PC)に与えられる設定には、「他のPCとの関係」「シナリオとの関係」「舞台世界との関係」の三つがあります。以下、各々の設定内容の例示は、最初が最も容易なもので、徐々に難しいものになっていきます。
「TRPG論考の意義」について。私が考える意義は、次の三つ。
こちらの続き。
論考を読んだ時の反応は様々です。他人が書いた論考を読んだ者は、その背景にある体験や考察を大なり小なり感じ取ります。それらが異質なものであれば、難しさ、あるいは不快感を覚えます。
こちらで書いたことなどを前提に。
論考データベースに「意義はあるか」と言えば、どのようなデータベースであっても「意義はある」というのが私の結論です。どんな論考にも意義があるのと同じで、当たり前ですけど。
mimizuku004さんからトラックバックをいただいていたことが、下記記事のコメント欄で確認できました。ご不便をお詫び申し上げ、お返事を書き込みます。
- 「迷イ」は「弱サ」にツナガリマス (mimizuku004さん、古木の虚)
「TRPGの理論」について私なりに語ろうかと思ったのですが、先に「定義」について述べておきます。
「定義」とは、言葉の意味を限定することです。その際、必ず「誰が」と「どこで」の二つの条件が伴います。「誰が」とは「その定義を使う者」のこと、「どこで」は「その定義が使われる範囲」です。
卓上RPGにおける理論と実践について、私なりの言葉の使い方(定義)を示します。何かの参考になれば幸いです。
私は、「実践」「理論」「論考」「技術」の四つの概念から成り立つ構造を考えます。ゲームに限らず、色々なことに応用できますが、卓上RPGについて述べるなら次の通り。
しばらく前にダークファンタジーRPG『深淵』の第二版(エンターブレイン)を買いました。このゲームをこよなく愛する友人のお陰で過去に幾度かプレイ、独特な遊戯感を楽しませてもらいました。
しかしながら、私はそのルールシステムには不満があります。「美しい物語」を目指す割には、少なくとも私の感性では、「美しいルールシステム」と思えない辺りとか。そこで今回、私なりの改竄案(改良ではない)を示したいと思います。
この記事は、自作ゲームシステムA.V.O.N.のデザインのために作成した、私的な資料を公開するものです。
会話型RPG論考サイト「Analog Game Studies」(AGS)が開設されました。心からお祝いを申し上げますと共に、今後の活動への期待を表します。
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