別天つ神 (2006年執筆)

本論考は、2006年6月13日に発表されたものです。文中の趣旨が、現在の筆者の考察とは異なる場合もありますので、ご注意願います。

日本神話を読み直す (1)

はじめに

我が国最古の古典である『古事記』には、宇宙創世神話から始まり、日本建国に連なる諸神話が収められている。それらを読み直し、日本神話の実体について再考するのが、この連載記事の趣旨である。

第1回目の今回は、冒頭に描かれた宇宙創生神話を取り上げることとする。使用した主な資料は次の通り。

  • 『古事記 (上)』 (講談社学術文庫、1977年、第42刷2003年)
  • 『日本書紀 (一)』 (岩波文庫、1994年、第16刷2005年)

古事記 (Elder Thing's Notes)

『古事記』は、天武天皇(在位673~686)が「真実の歴史」を後世に伝えるべく発案、記憶力に優れた稗田阿礼に諸々の伝承を整理させたものである。天武天皇崩御により中断するが、三代後の元明天皇(在位707~715)が再開を命じ、太安麻呂の編集によって712年に完成した。

同時期に編纂が進められている『日本書紀』(681年発案、720年完成)に様々な伝承が併記されているのに比べ、宇宙創生から神々の誕生、地上への降臨と支配などが一説に定められてるのが『古事記』の特徴と言える。

ここでは宇宙創世神話の一部を前掲書から引用し、そこに示された五柱の神についてまとめる。

「天地の初め」

天地初めて発けし時、高天原に成りし神の名は、天之御中主神、次に高御産巣日神、次に神産巣日神。この三柱の神は、みな独神と成りまして、身を隠したまひき。

次に国稚く浮ける脂の如くして、海月なす漂へる時、葦牙の如く萌え騰る物によりて成りし神の名は、宇摩志阿斯訶備比古遅神、次に天之常立神。この二柱の神もみな独神と成りまして、身を隠したまひき。
上の件の五柱の神は別天つ神。 (『古事記』(上) p.36より)

別天つ神 (コトアマツカミ;Outer Gods)

天地開闢の時に現れた五柱の神々を、特に「別天つ神」という。性別を持たない「独神」(ひとりがみ)であるが、単独で他の神を生むことができたらしい。「身を隠した」とは姿形を現さなかったということであるが、定まった形が無いか、人類の知覚や認識を超越した存在であったとも考えられる。

天之御中主神 (アマノミナカヌシノカミ)

宇宙の中央に存在する神とされる。中国の「天帝」(異教の視点からなら「魔王」か)や「太極」に相当するとも。この神の行ったことについては記述が無く、その存在が示されるのみである。ただ存在するだけの神なのか、あるいは「盲目にして白痴」なのかも知れない。

高御産巣日神 (タカミムスヒノカミ)

「高木神」あるいは「一千五百の小神を産みしもの」とも。天の岩屋戸神話に登場する智恵の神「思金神」(オモヒカネノカミ)は、この神の仔とされる。あるいは賢者や魔術師に崇められる神との意かも知れない。地上を支配させるための使者を幾度も送り込んだという神話(天孫降臨)は、この神の空間を超える能力を示している。

神産巣日神 (カミムスヒノカミ)

同じく宇宙の豊穣性を示す神であるが、高御産巣日神と比して、地母神的な性格とされる。その仔の一柱にして科学技術を司る小人神「少名毘古那神」(スクナビコナノカミ)に命じ、「大国主神」(オオクニヌシノカミ)と共に地上を支配させた。このため「国津神」(Earth Gods)系の神であるとも言われる。

宇摩志阿斯訶備比古遅神 (ウマシアシカビヒコヂノカミ)

原初の混沌から生れた神で、万物の生命力・生長力の象徴とされる。今でも宇宙のどこかであらゆる生命を産み出し続けているのであろうか。

天之常立神 (アメノトコタチノカミ)

原初の混沌から生れた神で、宇宙の永遠性の象徴とされる。時間の支配を超越した存在であるから、時間を超えた知覚を与えてくれるかも知れない。

海外の伝承との類似

驚くべきことに、これらと類似する神話が中東からヨーロッパにも伝わっている。730年頃にアラビア半島でAbdul al-Hazradによって著された『Kitab Al-Azif』がそれである。この書は後にギリシャ語、ラテン語等に翻訳され、10世紀頃には『Necronomicon』の名でヨーロッパに伝わった。また我が国にも平安時代に『黒蓮蟲聲経』や『朱誅龍経』、室町中期にも『屍龍経典』といった漢訳本が持ち込まれたとの説がある。残念ながらどの版も散逸し、現存するものはほとんど無いらしい。著者はまた『屍神聖典』なる和訳本の噂も耳にしたが、真偽は定かでない。

『Kitab Al-Azif』の成立は『古事記』よりも10年以上後であるが、後者が中東まで伝わったとは考え難い。偶然の一致でなければ、『日本書紀』における「一書」に相当する、両者に共通する伝承が存在した可能性がある。

参考までに「別天つ神」と、『Kitab Al-Azif』などに登場する神名との対照を記しておく。これらは神格の特徴上の類似から仮にまとめたもので、正当な資料に則ったものではない事をお断りしておく。

  • 天之御中主神 ... Azathoth
  • 高御産巣日神 ... Yog-Sothoth
  • 神産巣日神 ... Shub-Niggurath
  • 宇摩志阿斯訶備比古遅神 ... Abhoth もしくは Ubbo-Sathla
  • 天之常立神 ... Daoloth

おわりに

次回からは順不同に、重要と思われる神々や伝承について述べたい。特に『Kitab Al-Azif』との類似するものを優先して言及していくつもりである。

熱意ある質問は随時お寄せいただきたい。宇宙に対する弛まぬ探究心こそが人類の運命を形作るものであるから(含み笑い)。