上級者のためのロールプレイ (2005年執筆)

本論考は、2005年11月15日に発表されたものです。文中の趣旨が、現在の筆者の考察とは異なる場合もありますので、ご注意願います。

「ロール」の作り方と使い方。また「ハンドアウト」について

はじめに

「上級者のためのロールプレイ」というと、プレイヤー担当キャラクター(以下、PC)の行動描写や演技の上手、下手を問うものと勘違いされるかも知れない。しかしながらここで説くのは、それらの技術の前段階に当たる「ロールの作り方」、そして「使い方」についてである。

ロール」(Role)という語については、ここでは「キャラクターを表現するデータの内、ルール上の処理をされない各種設定」と定義しておく。性別、年齢、職業、性格、半生、嗜好、思想、癖などがこれに含まれる。ルールシステムによっては数値データと密に関わるものもあろうが、しばしばルール処理を通さずにプレイに影響を及ぼすもの、と考えていただきたい。

初級」「中級」「上級」、また「初級」とは異なる「初心」などの語は、かつて論考「卓上RPGにおける初心者と初級者」でも用いたが、それらが示す内容は異なるので、ご注意いただきたい。この論考では何によって「級」を分けるかといえば、「より面白いこと」を根拠とする。「中級」は「初級」より面白く、「上級」は「中級」より更に面白いのである。ただし「初級」が(少なくともやっている本人にとっては)つまらないわけではない。それもまた一つの遊び方としては認めるが故、あえて「下級」とは称しなかった。

初心者のロールプレイ : ただ、なんとなく

はじめて卓上RPGを遊ぶ者にとって、「ロール」はあまり重要なものではない。漠然と「こういう人物をやろう」という感覚、「戦士っぽく」「探偵っぽく」といった指針を「なんとなく」抱いているに過ぎない。もちろんノウハウを掴んでいなければ「ロール通りにプレイできているか」も判断できない。やがて周囲からの助言(あるいは苦言)が経験にも刺激にもなって蓄積していくのであるが、そうなる前の状態がこれである。

「こういう人物をやりたい」という意志が明確になった時、あるいは逆に「これとは異なる人物をやってみよう」と思った時、はじめて「ロール」について考えることとなる。これが「初心者」の終焉である。

さて、「初心者」を脱した者は、「初級者」「中級者」「上級者」のいずれにでもなりうる。ただし「級」の間の移行は難しい。

初級者のロールプレイ : プレイヤーのためのPC

「初級者」は、自分の(幼児的)万能感、つまりワガママを通すための「ロール」を作成し、使用する。

最も単純な例は、「理想の自分」または「理想の恋人」のイメージがそのまま顕現するものである。プレイ中の行動やセリフ回しは、すべてその素晴らしさを他の参加者に伝えるために用いられる。気分は主演俳優、周りにいるのは皆観客である。中には観客の不要な主演俳優もいて、その場合は心の中の観客が拍手を送ってくれる。

「理想」そのままに飽きたが万能感は捨てられない場合、ルールに縛られずに決められる各種設定を活用することとなる。富豪の子供なので何でも買える、権力者の子供なのでそれを明かすとNPCは皆言うことを訊く、ヤクザの親分の子供なのでそれを明かすとチンピラNPCは皆手下になるなど、他のPCにできない行為を可能にすることで自分の強さを示そうとするのである。

自分(だけ)が楽しむためにRPGをする者がこれに陥りやすい。他のプレイヤーは相対的な劣者となるべくしてそこにいるのだから、ゲームマスターともども、彼の優秀さを受け入れるべきなのだ。もし他の参加者がそれらの設定や行動を認めなければ途端に不機嫌になるのは、相手が「楽しさ」を否定したからである。

中級者のロールプレイ : プレイヤーとPCの分離

「中級者」は、PCを独立した人格と考えて、それに相応しいように「ロール」を作成し、使用する。

ここでは、PCは映画や小説の登場人物のような架空世界に生きる一個の人格として構築されるべきものと考えられる。データがルールシステムに則って決められるように、「ロール」は舞台設定に合わせて「リアルに」(本当っぽく)作られるべきであり、また展開される物語や雰囲気を壊さないように「リアルに」プレイされるべきである、とされるのである。プレイヤーとは独立した人格であるから、(初級者のように)プレイヤーの欲求に従わせるのは好ましくないし、シナリオの都合に合わせて設定と異なる行動をとらせるのも避けなくてはならない。

問題は、「ロール」の遵守が柔軟な行動決定を損ねることである。「守るべき設定」と「とるべき行動」とが矛盾する(ように思われた)時、プレイヤーが「どうすればよいのか分からない」と混乱し、何もできなくなるのである。「深窓の令嬢」なので危機的状況でも積極的には行動できない、「美女に裏切られたことがある」ので美女は誰一人信じることができない、「仕事第一人間」なので仕事以外は何もできない、など。現実の人間であれば、少なくともPCのような立場の者であれば、主義主張はどうあれ、状況に応じて咄嗟に判断し行動するものである。しかしながら出来の悪いコンピュータープログラムのような硬直した人物像は、すぐにフリーズしてしまうのである。

これに陥る者は、卓上RPGを「小説や映画のような物語を作るゲーム」と勘違いしているものと思われる。それ故、PCは登場人物のような「設定通りの人物」でなくてはならず、物語を完成させるために「とるべき行動」が必ずあるはず、と考えてしまうのだ。それの何が楽しくてやっているのかというと、「楽しみ」ではなく、物語の完成を「成功」と見なし、求めているのである。もちろん「成功」の達成感も楽しくはあるのだが。

中級者が陥り易い「魔道」 : PCのためのプレイヤー

融通の利かない「ロール」に苦闘を続けた「中級者」が、むしろ「ロール」に己を委ねることで平穏を得ることがある。プレイと「ロール」が噛み合わなくなった時、自分でどうにかしようとあがく(大抵失敗する)のではなく、ゲームマスターや他のプレイヤーに助けを求めるのである。

例えば「プレイヤーとしては分かっているんだけど、PCとしてはできない」という発言は、「だからお前らが何とかしろ」という命令である。PCのロールを柔軟に活用する工夫や努力を捨てるのは、PCの下僕に成り下がったも同然である。「PC様」は絶対で、それに合わせないシナリオやゲームマスター、他のプレイヤーに責任があるとする。もちろんそのプレイヤーには責任は無く、むしろ被害者ということになる。

努力やそれに伴う苦悩をひどく嫌う者ならば、特にこの道に陥り易いであろう。ちなみに、かつて馬場秀和氏が危惧した「キャラクタープレイを本来のロールプレイより優先」した状態、即ち「強いキャラクタープレイ」がこれに相当する、と私は考えている。

上級者のロールプレイ : 皆のためのPC

「上級者」が「ロール」に求めることは、次の三つである。

  1. ゲームシステムで遊び易いこと。
  2. プレイヤーにとって使い易いこと。
  3. シナリオを楽しみ易いこと。

1で言う「ゲームシステム」には、「ルールシステム」と「舞台設定」とが含まれる。データやルールで表現し易いような「ロール」であること、そして時代や地域、社会などにおいて不自然でない「ロール」であることが肝要である。ルールブックやサプリメント類をよく読み、そこからイメージを膨らませることで、「ロール」の作成可能な範囲は柔軟に広がっていく。

2は、プレイヤー自身とあまりに異質な性格や、予備知識のまったく無い職業などは避けた方が良い、ということである。チャレンジ精神は大切だが、それだけでは状況に応じた柔軟な対応は難しい。今の自分に合うものだけをやるのも堅実であるが、むしろ映画や小説などで人物像のイメージを膨らませたり、関連書籍を読むなどして知識を増やすよう日頃から努めることが望ましい。

3は最も難しい。シナリオの導入や展開でどのような状況に陥ったとしても、さほど悩まず対応できるような柔軟な「ロール」を設定しておく、ということである。プレイヤー自身がよほど柔軟な思考の持ち主というので無ければ、様々な状況を想定しておくしかない。しかし実は簡単な抜け道もある。冒険心や好奇心、探究心などの強い人物としておけば、ほとんどの場合対応できるのである。(ちなみに以前「初期のシステムではそれをPCの呼称で表わしている」としたが、あまり支持されなかった。)

「初級者」は2のみ、「中級者」は1のみに偏るが、「上級者」はすべてを満足させなくてはならない。そうすることで、プレイヤー自身にとっても、他のプレイヤーにとっても、ゲームマスターやシナリオにとっても優しい「ロール」が完成するのである。

何が「上達」を妨げるのか?

「初級」から「中級」や「上級」に行けない理由は、(幼児的)万能感を捨てたくないためである。大人になってから正々堂々とワガママを通せる機会などなかなかないのだから、無理も無いのかも知れない。しかし他の参加者に迷惑をかけていることに気付き、反省し、つまり「大人になった」なら、「初級」を脱することができる。より「リアル」な人物を扱う方が素晴らしいとすれば「中級」へ移り、参加者全員で共有する喜びの方が自分ひとりのそれより大きいと気付けば「上級」に赴くであろう。

「中級」から「上級」に行けない理由は、卓上RPGを「小説や映画のような物語を作るゲーム」と信じて、疑わないためである。それは誰かが唱えた譬えに過ぎず、それではゲームプレイがうまくいかないのだ、と気付けば「中級」を脱することができる。プレイの主体はPCではなくプレイヤーであり、「ロールプレイ」はそのための道具に過ぎないと気付き、考えれば、いずれ「上級」に至るであろう。

逆に、上から下へと移行する可能性はないだろうか?「無い」とは限らないが、より大きな楽しみを知りつつ小さな方に移るのは余程の事情があってのことであろう。少なくともこの論考で扱う対象ではない、と思いたい。

FEAR式「ハンドアウト」の長所と短所

ここで、FEAR社によって提案されて好評の「ハンドアウト」という技法について考えてみたい。

「ハンドアウト」とは、シナリオ内でPCが「とるべき行動」の傾向を、人物関係や状況設定などによって暗示した文章のことである。「ハンドアウト」は個々のPCのために複数用意され、プレイ開始前にプレイヤーにひとつ選ばせるか、ゲームマスターの判断でひとつずつ割り当てられる。プレイヤーはそれから「とるべき行動」の傾向を知り、それに合わせてPCの「ロール」を作成し実行するため、両者の間に矛盾が発生することが避けられるようになっている。

上記論考の中で位置付けるならば、この「ハンドアウト」は、「中級者」のまま「上級」の効果を得られるようにした工夫と言える。「ハンドアウト」は既にルールシステムや舞台設定、何よりシナリオに合うように決められているので、後はプレイヤー各々が使い易いものを選びさえすれば、「上級」の三つの条件が成立することになる。プレイヤー本人は「ロール」を守りさえすれば、対応不能となったり、シナリオが停滞することも無くなるのだ。何とも素晴らしい工夫である。

問題は、それだけでは「上級者」としての技能がいつまでも身に付かないことである。そのため「ハンドアウト」を採用しないゲームシステムを遊ぶ際には、再び「中級者」の苦悩を味わうことになる。対策は二つ。「上級者」を目指すか、「ハンドアウト」を使い続けるか、である。もちろん私は前者をお勧めする。「ハンドアウト」は有能ではあるが、万能ではないので。

おわりに

上記論考で大きく触れなかったものとして、「初心なき初心者」というものがある。雑誌や単行本のリプレイであらかじめ「ロールプレイ」を学んでからプレイに臨む者については、現場で学び始める「初心者」と分けて考えるべきであろう。そのような体験の違いがどのような影響を与えるか等、考察が十分でないので省いた。

「上級者のためのロールプレイ」などと大上段を構えた癖に、大して難しくもない技術しか述べていない、と読者は思われるかもしれない。しかしながら、誰にとっても難しいから「上級」というわけではない。どんな簡単なことでも、まずやろうと思わなければできない。そして「やろうと思う」ことですら案外難しいのである。

ひょっとしたら私が「上級」と考えているものよりも、「もっと上級」なロールプレイが多々あるかもしれない。もしそれをご存知の方がいらっしゃるならば、ぜひご教示いただきたい。まず「知る」ことこそ、「やろうと思う」更に前に必要なことであるから。