正気度とは何か (2005年執筆)

本論考は、2005年9月26日に発表されたものです。文中の趣旨が、現在の筆者の考察とは異なる場合もありますので、ご注意願います。

「正気度」ルールシステムの一解釈

はじめに : 「正気度」を語る意義

クトゥルフ神話TRPG」(Call of Cthulhu;CoC;旧日本語版では「クトゥルフの呼び声」と訳された)は、ホラーRPGの定番として永きにわたり、また世界各国で遊ばれている名作ゲームである。そのルールシステムの根幹を成すものが「正気度」(Sanity、SAN)であることは、疑う余地の無いところであろう。この「正気度」というルールをどう「解釈」するかが、このゲームシステムの「遊び方」を定める、というのが私の考えである。

本来この「解釈」という作業は、遊び手各々が独自に、好きなようにやればよい。しかしながら他人がやった解釈は、自分がそれを行う時の参考にもなるし、またそれが気に入れば手間を省くこともできる。そこで本論考では、「正気度」というルールシステムについて私なりの解釈を示すこととする。

「正気度」の特徴を考える

まず、「正気度」に関するルールシステムの概要をまとめ、その特徴を確認しておく。

  • 「正気度」の初期値は、能力値のひとつである「精神力」(Power、POW)の5倍(%)である。
  • 「正気度」以下を百面ダイスで出す「正気度判定」に成功すると、激しい精神的ショックに耐える(またはその被害を最小限に抑える)ことができる。恐るべき敵と直接対決するために有効な能力である。
  • 「正気度」の上限値は「99-クトゥルフ神話技能」である。「クトゥルフ神話技能」は怪物や魔術の正体を知るために用いることができ、それらとの対決の準備段階で有効な技能である。
  • 「正気度」の減少は、様々な恐怖体験、この世にいるはずのない怪物との遭遇、魔道書等に記された恐るべき真実の認識等において発生する。減少は以後の「正気度判定」の成功率を低め、また減少が激しい場合にはその者を「狂気」に陥らせる(後述)。これらは主にシナリオプレイ中に処理される。
  • 「正気度」の増加は、怪物を退けたり、恐怖の根元を除くことができた場合等に発生する。増加は以後の「正気度判定」の成功率を高める。これらは主にシナリオプレイ後に処理される。

「正気度」の急激な減少は、以下の三種の「狂気」を引き起こす。

  • 「一時的狂気」 : 一度に5ポイント以上の「正気度」が失われ、更に「アイデアロール」(知性×5%)に成功した場合、短くて1~3分、最長4日間程の発狂状態となる。「アイデアロール」に失敗すると発狂を避けられるが、起こったことを正確に憶えていないこととなる。
  • 「不定の狂気」 : ゲーム内の1時間に「正気度」の1/5ポイントが失われた場合、1~6ヶ月の発狂状態となる。
  • 「永久的狂気」 : 「正気度」が0となった場合の発狂状態。期間や内容はゲームマスターに任される。

「不定の狂気」と「永久的狂気」は大抵の場合、シナリオプレイからの脱落を意味する。「一時的狂気」がどういう結果に繋がるかは、ゲーム内での状況や、ゲームマスターの判断によって決まる。

以上をまとめると次のようになる。

  1. 「正気度」は直接対決に有効な能力であり、「精神力」が強いほど高まるが、対決準備に有効な「クトゥルフ神話技能」とのバランスに苦慮しなくてはならない。
  2. 「正気度」はシナリオプレイ中に減少するが、プレイ後に増加させることができる。「正気度」が減ると、以後は更に減りやすくなるため、増加値とのバランスに配慮が必要である。
  3. 「不定の狂気」や「永久的狂気」に陥ると、プレイから脱落することになる。それを避けるためには、「正気度」が減るような行為を続けて行わない等の工夫が必要である。

上記2に挙げた増減のバランスについては、次項以下で詳しく考えておく。

「正気度」の減少を考える

「正気度」は、次のような状況において減少する。

  • 呪文をかけた時。(呪文により0~3D10、この場合のみ「正気度判定」なし)
  • 魔道書を読んで理解した時。(魔道書により0~2D10)
  • 神話生物と遭遇した時。(神話生物により0~1D100)
  • 肉体的、精神的にひどく残酷な体験をしたり、それを目撃した時。(内容により0~1D10)

魔道書読解はシナリオプレイ時間中に処理されることはあまり無い。残りの内、データが整っている「呪文の行使」と「神話生物との遭遇」について「正気度」の減り方を考えてみる。

まず「呪文の行使」がどの程度「正気度」を減らすものか、調べてみよう。ルールブックp.249~252には、222の呪文(道具の作成法も含む)と4つの道具が紹介されている。呪文の使用によって減少する「正気度」と、それによって発狂(一時的狂気)に陥る可能性とから分類すると、222呪文の内訳は次の通りとなる。

  1. 「正気度」が減らない呪文 : 21
  2. 「正気度」が減るが、発狂には至らない呪文 : 55
  3. 展開次第で発狂するかも知れない呪文 : 35 (召喚呪文など)
  4. 使用だけで発狂するかも知れない呪文 : 68 (33~99%)
  5. 使用だけで確実に発狂する呪文 : 5 (100%)
  6. カルティストや神話生物等の専用呪文 : 22
  7. その他 : 16 (ヴードゥー呪文、ドリームランド専用呪文など)

上記1と2では発狂が起こらないため、PCでも比較的使用しやすい呪文と言える。3についてはその後の処理、例えば召喚呪文であれば呼び出す神話生物によって危険度が変わる。全体の半分ほどを占めるこれらの呪文はPCも敵NPCも共に用いる呪文、これら以外は敵専用と考えてよいだろう。

次に「神話生物との遭遇」についてはその危険性、即ちどの程度狂気に陥り易いかが問題となる。以下、一般的な人間のデータ「正気度50、知性(INT)13」が強弱五種の神話生物に遭遇した時、「一時的狂気+アイデアロール成功」「不定の狂気」そして「永久的狂気」が発生する確率を示す。

  1. ビヤーキー (正気度減少1/1D6) : 一時的狂気10.8%、不定の狂気0%、永久的狂気0%
  2. ロイガー (正気度減少0/1D8) : 一時的狂気16.3%、不定の狂気0%、永久的狂気0%
  3. 黒い仔山羊 (正気度減少1D3/1D10) : 一時的狂気16.3%、不定の狂気5.0%、永久的狂気0%
  4. ショゴス (正気度減少1D6/1D20) : 一時的狂気19.0%、不定の狂気27.5%、永久的狂気0% (計46.5%)
  5. クトゥルフ (正気度減少1D10/1D100) : 一時的狂気17.9%、不定の狂気25.0%、永久的狂気25.5% (計68.4%)

確率だけで考えればPCが4人いたとして、1~3においては1人弱、4では2人弱、5では3人弱が狂気に陥る。特に4と5では「不定の狂気」「永久的狂気」の確率が増えるため、著しく危険であることが分かる。

「正気度」の増加を考える

「正気度」は、次のような状況において増加する。

  • 冒険を成功裏に終らせた時、その報酬として。増加する値は危険度に比例する。
  • 能力値POWが増えた時。(POW+1につき正気度+5)
  • 技能が90%を越えた時。(技能ひとつにつき、2D6)
  • 神話生物を退けた時。(生物により0~1D100)
  • 精神療法を受けた時。(精神分析技能で判定、1D3/月)
  • 精神科治療薬を投与された時。(現代のみ、1D3/月)

キャラクター個々のデータや時代背景に限らず、毎回期待できるものは「冒険の報酬」と「神話生物の退治」による増加であるから、これらについて考えてみる。

冒険の報酬」としての増加については、特に指針が定められていない。即ち個々のシナリオやゲームマスターに任されているのであるが、「冒した危険の度合いにだいたい比例する」とあるから、シナリオ内で減る「正気度」と同じ程度与えるのが無難と思われる。

神話生物の退治」においては、遭遇した場合に失う「正気度」の大きい方の値(正気度判定に失敗した場合に減る値)が与えられ、もし多数を退治した場合にはその最大値が与えられる。例えば前述のビヤーキーなら1D6(多数なら6)、黒い仔山羊なら1D10(多数なら10)となる。

上記二項目による「正気度」の増加がどの程度認められるかによって、その減少の余地が定められる。多く取り戻せるなら、多く使って勝利を目指せる、というわけである。

原作小説と「正気度」

ここで、H. P. ラヴクラフト以来の諸々の原作小説について考えてみよう。これもまた私なりの解釈である。

幾つかの原作小説を読み、その背景に私が感じ取ったのは「欧米文明の否定」であった。即ち、西欧社会の基礎にあるキリスト教、輝かしき未来を約束するはずの科学文明、それらに裏づけされた白人優位思想などが否定されるのである。

クトゥルフ神話の中で暴露される「真実の世界」では、(キリスト教のような)一神教ではなく多神教が正しく、また否定されたはずの魔術が超科学と肩を並べている。そういう「真理」を熟知しているのは、文明人たる白人種ではなく、野蛮で堕落した有色人種である。奢れる白人たちは自分たちに都合の良い幻によっているが、学問や科学を追及する内に、積み上げてきたもの全てを否定される現実に直面するのである...。

このような解釈からは、「正気度」とは「欧米的常識=幻想」の強さを示すもの、と考えることができる。精神力が強い者ほど「常識」を信じる心が強くなり、完全な真理に目覚める「正気度0の境地」から距離を置く。怪事件の最中では真実を知るたびに幻想が剥がれ落ちていくが、それを解決したならば再度幻想の中に浸ることができる。こうなると「正気度」はむしろ「狂気度」であって、正常と異常との皮肉な逆転は興味深いゲームプレイを導くかもしれない。

しかしながら、このような解釈を背景とするプレイには、次のような問題が生じうる。

  1. 参加者の好き嫌いが分かれる上、技術的にも高度なものが要求されるので、開催や進行が難しくなる。
  2. 狂気の世界に浸ることを促進し、シナリオ解決への努力を損ねる傾向がある。
  3. 現代アメリカや日本など、近代欧米以外を舞台とした場合、思想的に通用し難い。

慎重な舞台選択と参加者全員の了解を前提にするならともかく、ゲームプレイの便を優先させるなら他の解釈を探した方が良さそうである。

「正気度」とは何か

そうして到達した新「解釈」が、「正気度」とは「人間としての平凡な日常を愛する心」を示す数値である、というものである。家族や恋人、友人や隣人とのささやかな「ごく普通の生活」を大切にしようとする「心の強さ」とするのである。

その「ごく普通」に相対し、脅かすものが、「並外れた力」(暴力、財力、権力など)への欲望である。クトゥルフ神話における神話生物の加護や呪文はまさに並外れた力であり、それらを目の当たりにする者は、その誘惑に「日常を愛する心」を掻き乱される。その強大な魅力の前で己を保ち、儚い幸せの方を選択する力を「正気度」とするのである。

「正気度」の減少は、日常への愛を疑い迷うことを表わす。残酷な宇宙の真理を知り、強大な神話生物を目の当たりにし、世界を支配しうる魔力を行使する時、一時の幻に過ぎない日常など捨ててしまえばよいのではないか、と一瞬迷うのである。迷いが大きかった場合に過去の自分との間に板ばさみとなり、様々な混乱を生じるのが「狂気」である。

「正気度」の増加は、日常への愛を再確認することである。命がけで脅威を退け、日常世界を守ることに成功した時、儚い幸せを大切にした自分に満足し、迷いを払うことができる。もし同様の脅威に見舞われたなら、再びそれに立ち向かおうという意志を固くしうるのである。

では、もし「正気度」がすべて失われたなら、どうなるのか?最早その者の「日常への愛」は失われ、力への欲望に正直になるであろう。宇宙の真理は利用すべきもの、神話生物は主人か同朋、呪文は手足となる。より強大な力のみを求め、遥かな世界に旅立つであろう。最早、未練は何も無いのだから。

おわりに

以上、「正気度」に関する私なりの考察を書き連ねた。あえて「結論」なり「遊び方」なりになるまでには、まとめきらなかった。それはまた別の雑考として載せるかもしれない。

重ねて申し上げておくが、本論考は私の「解釈」の積み重ねである。原作小説やルールブックの記述を基にはしているが、必ずしも作家やゲームデザイナーの意図を汲み取ろうとはしていない。遊び手にとって重要なのは「正しい解釈」ではなく、「どう解釈すれば、より楽しめるか」なのだから。

そういう意味で、もし読者が上記解釈を参考にプレイされ、楽しめたなら、この論考をまとめた甲斐は十二分にあったこととなるであろう。もっとも私自身は「解釈」そのものを既に存分に楽しんだのだが。