卓上RPGにおける「テーマ」 (1999年執筆)
本論考は、1999年7月22日に発表されたものです。文中の趣旨が、現在の筆者の考察とは異なる場合もありますので、ご注意願います。
「テーマ」の定義と、その活用の勧め
結論を、はじめに
常に面白い卓上RPGをプレイするためには、そのプレイの現場に「テーマ」の提示が必要不可欠である。
これが私の結論です。以下の論考では、卓上RPGにおける「テーマ」とは何なのか、それをプレイの現場でどのように用いるのか、等について論じていきます。
ひとりの遊び手が抱いたひとつの視点として、皆さんが卓上RPGを遊ぶ際の参考となれば幸いです。
論考執筆に至る経緯
TRPG.NETの数ある掲示板の一つである「TRPG研究室」で、1999年3月29日~5月10日の期間に、「テーマ」について幾つかの意見交換が行われました。私は、そのやり取りには関われませんでしたが、この問題自体には深く興味を抱きました。この語が持つ意味や役割について改めて考えはじめたのは、この時からのことです。
文学論や演劇・映画などの論評と結び付けて考えていたせいでしょうか、以前の私は「テーマ」というものを"高尚かつ難解なもの"と捉え、あまり深く考えることをしませんでした。純粋な娯楽である卓上RPGに小難しい意義付けなど必要無い、ただ楽しむことのみを考えれば良いのだ、と。しかし、それは間違っていました。少なくとも卓上RPGにおいては、「テーマ」を語ることでより面白い娯楽を得ることが出来るのです。
視点を変えましょう。市場には様々な卓上RPGのルールシステムが流通しています。では、そのひとつひとつの異なるゲームは、まったく異なる楽しみを、それで遊ぶ者に与えているのでしょうか?また、同じゲームであれば、どの遊び手にも同じ楽しみを与えているでしょうか。ジャンルが異なる、世界が異なる、ルールが異なる。けれども、やっていることは同じ。あるいは、同じゲームなのに、こちらの卓とあちらの卓では、趣が異なる。そのような例は珍しくありません。もちろん、このような現象自体に良し悪しはありません。が、プレイの持つ趣向が、参加者の期待とまったく異なるものであるならば、黙視できる問題ではありません。これらの問題にも「テーマ」が深く関わってきます。
私の考察で得られた、卓上RPGにおける「テーマ」とは、決して新しい概念ではありません。勘の良い方であれば既にお気づきかもしれませんが、それは、既に暗黙の内に存在しています。しかし、"暗黙の内に"ではいけないのです。明示されねば害になる、了解の上なら薬になる。そう確信するに至りました。
また、卓上RPGにおけるそれは、文学や演劇で語られるものとは多少趣きを異にするものかもしれません。しかし私にはそれ以上に適切な語は見つけられませんでしたので、誤解を恐れず、この語を用いることにします。
「テーマ」とは何か
私が考える「テーマ」とは、「ゲームプレイにおける指向性の統一または共有を目的として設けられる、シナリオ若しくはキャンペーン作成/運営における構築概念」のことです。要するに、「今回のシナリオ(またはキャンペーン)は、これこれこういう方向性でプレイしましょう」という、申し合わせのことです。
このように定義した「テーマ」が指し示す内容について、本項で説明します。
(「テーマ」という語からの考察)
先の定義は「テーマ」なる語の一般的解釈と必ずしも一致しませんので、まず「テーマ」という語の意味について触れておくこととします。「テーマ」とは、ドイツ語のThema、英語のTheme(シーム)であり、日本語では「主題」などと訳され、「催し、創作、研究などの基調として、その全体を通して表そうとした考え、思想、観念」(小学館国語大辞典1988)とされています。小説や映画などにおける「テーマ論」には深く触れませんが、提供者の側が作品の中に含めて鑑賞者に伝えるもの、として間違い無いでしょう。
このような一般的な定義を、卓上RPGにそのまま当てるならば、「ゲームプレイの基調として、その全体を通して表そうとした考え、思想、観念」というところでしょうか。しかし参加者全員が相互に干渉し合うゲームというメディアであれば、先述の構図とはその性格も異なります。また「卓上RPGの楽しみは全員で共有するものである」という観点に立てば、全員が提供者兼鑑賞者ですから、「テーマ」もまた全員が共有しなければなりません。誰かが分かっていて他の者は知らない、では共有とは言えないのです。またそこで共有される内容は、卓上RPGというメディアが生み出す作品、即ち「ゲームプレイそのもの」に含まれるものですから、端的には「プレイへの取り組み方の申し合わせ」がそれであると言って良いでしょう。これに関連用語を加えたのが、本項冒頭に挙げた「テーマ」の定義となるわけです。
(「デザイン・コンセプト」と「テーマ」)
卓上RPGのゲームシステムを構成している要素は、ルール・システムやそれに関わる諸データ、世界設定など多岐に亘りますが、それらすべてを統括し、方向性を定めるものとして、基礎的な構築概念(コンセプト)が存在します。この構築概念を、私は二つに分けました。それをこの論考では、「テーマ」と「デザイン・コンセプト」と称することにします。
まず両者を明確に分ける特性を最初に述べておきます。それは、その要素が何者に属するか、ということです。
- 「デザイン・コンセプト」は、そのゲームシステムのデザイナーに属するものである
- 「テーマ」は、ゲームプレイ現場の参加者、即ちゲームマスターとプレイヤーとに属するものである
ここで、「デザイン・コンセプト」と「テーマ」の例を各々挙げてみましょう。まずは「デザイン・コンセプト」の例は、次の通りです。
- 闇雲に戦うのではなく、頭を使い分担を巧くして、効率良く行動すべきである。
- キャラクターは英雄であるから、常人なら一溜りも無いような負傷にも耐えられる。
- 定命の身で超人的活躍をするためには、何がしかの代償が必要である。
- 宇宙の真実をひとたび知った者は、完全な"正気"に戻ることはできない。
- 遠未来世界で魔法と呼ばれるものは、実は世界を滅ぼした(現代の)科学技術なのだ。
これら「デザイン・コンセプト」は、そのゲームが取り扱う仮想世界の様々な法則、世界の中でキャラクターがどのような存在なのか、またどのように振舞うのが最も相応しいか等を決めるものです。遊び手がその舞台世界において「してよいこと」と「してはならないこと」とを定める概念と言って良いでしょう。これらはルールや世界設定に反映されるため、そのゲームシステムを(大幅な改造等をせずに)使用する限り、マスターとプレイヤーにはそれを拒否することはできません。
「デザイン・コンセプト」の基本部分が「デザイナーズ・ノート」などとして明記されることもありますが、多岐に亘るため、全てを語ることは不可能です。どうしても一人一人の遊び手が、ルールシステムやデータ、世界設定等を分析し、そこから読み取ることになります。「デザイン・コンセプト」は言わば"デザイナーの所有物/権利"であり、マスターやプレイヤーにはそれを受け入れるか否かの選択肢があるのみです。
他方、「テーマ」の例には、次のようなものが挙げられます。
- 必ず誰かが厄介事を起こし、キャラクターたちをそれに巻き込む。王国(学園でも可)は今日も大騒ぎ。
- 邪悪な陰謀に、巷間の勇者たちが立ちはだかる。大冒険と大活劇!
- 強大かつ冷酷な神々のゲームに翻弄される運命の駒たちは、そこに何を見出すのか。
- 連日発生する凶悪犯罪に立ち向かい、脅える善良な人々を救おう!
- 冷酷な支配者によって隠されたこの世の真実を解き明かし、人々に真の自由を与えることができるか?
「雰囲気」程度の軽いものから「メッセージ」を込めた重いものまで様々で、これら以外にも多種多様なものがあります。これらはゲームプレイの傾向を定めるもので、遊び手がその舞台世界で「すべきこと」と「すべきでないこと」とを決める概念と言えます。大抵は先の「デザイン・コンセプト」によってある程度選択肢の幅が決まっており、「デザイナーズ・ノート」や世界観、サンプルシナリオの中にしばしばその姿を見出すことが出来ます。"そのゲームのオーソドックスなシナリオはどんなものか?""またゲームの雰囲気を壊さない範囲でどこまでの逸脱が許されるか?"などと考えて捉えられるもの、と言えば分かりやすいでしょうか。
極端に「デザイン・コンセプト」から外れた「テーマ」の適用は、そのゲームプレイを時に破綻させてしまいます。そのため、それで遊ぼうとする参加者(少なくともゲームマスター)は、そのゲームシステムの「デザイン・コンセプト」を把握し、その幅の中から「テーマ」を選択せねばなりません。しかし、「テーマ」の選択権はあくまでも現場の参加者にあるのであって、そういう意味で「テーマ」はゲームマスターとプレイヤーに属するもの=所有物であり、権利なのです。ゲームシステム内に見られる「テーマ」は、デザイナーによる"お勧めの選択肢"でしかありません。ゲームマスターやプレイヤーたちがそのゲームの本質を理解し、新しい「テーマ」を見出すならば、その時そのゲームは創り手の手を離れ、更に完成した形で遊び手のものとなるのです。
「デザイン・コンセプト」と「テーマ」の各々の特性を、もう一度掲げておきましょう。
「デザイン・コンセプト」とは、遊び手が「してよいこと」と「してはならないこと」とを定める概念です。それはデザイナーの手によって決まります。ゲームマスターとプレイヤーは、それが自分たちのゲームプレイに適しているか否かを判断します。
「テーマ」とは、遊び手が「すべきこと」と「すべきでないこと」とを定める概念です。それはゲームマスターとプレイヤーの全員の総意で決まります。デザイナーはお奨めの「テーマ」を選択肢として提供しますが、それを越える権限/可能性は常に遊び手の側にあります。
(ゲームシステムからの「テーマ」の抽出)
上記の両要素の差異を認識し、それらを混同することなく、ゲームシステムから「テーマ」を抽出することが、重要な作業となります。ここでは、その作業に際して、「デザイン・コンセプト」との比較以外に知っておくべきことを記します。
ひとつのゲームシステムに含まれる「テーマ」の量は、そのゲームシステムの性格に左右され、必ずしも定まりません。限定的な傾向を強く打ち出し、幅の少ないものがある一方、手広い守備範囲がかえって方向性を判り難くしている物もあります。また初期の作品や汎用システムのように、「テーマ」をひとつも持たないものすらありますが、その場合は背景世界が「テーマ」を限定する傾向にあり、抽出の際にも注意が必要です。
最も好ましいと思われるひとつの「テーマ」のみ抽出するも良し、複数の「テーマ」を抽出し、その中から選択するも良しです。ただし、次回のプレイもしくはキャンペーンの際に手間が省け、またあなたが選んだ「テーマ」を好む者が少ない場合の代替案も得られますので、私個人としては後者をお勧めします。
「テーマ」の抽出のためのより具体的な手順等は、私にとっても今後の研究課題のひとつです。いずれゲームシステムもしくはそのレビューなどでその「テーマ」が紹介されるようであれば、遊び手はそれを参照/選択するだけで済むかもしれませんが。
このようにして「テーマ」が抽出された後に、「デザイン・コンセプト」の厳格な適用および「テーマ」の選択が続き、最終的に実際のゲームプレイがあるのです。この手順について、次項で更に記します。
「テーマ」の使い方
前項で述べたような「テーマ」を、そのゲームプレイ以前に提示し、参加者全員の取り組み方を統一することで、プレイ中に得られる楽しみをより確実かつ純化されたものにできます。実際の現場では、それはどのような手順で用いられるのでしょうか?ここではその使用法について説明します。
ゲームマスターの作業
- 「テーマ」(案)とゲームシステムを決める
- 「テーマ」を活かしてシナリオを準備する
- 「テーマ」を念頭に置きつつプレイを運営する
プレイヤーの作業
- 「テーマ」とゲームシステムの決定に参加する
- 「テーマ」を活かしてキャラクターを準備する
- 「テーマ」を念頭に置きつつプレイに参加する
(ゲームマスターの作業手順)
ゲームマスターの作業は、次の三段階です。
1、「テーマ」(案)とゲームシステムを決める
まず、その回のプレイの「テーマ」と、使用するゲームシステムとを決めます。プレイヤー側からの希望が予めあるので無ければ、マスターが案を出して、その是非を問うのが通例でしょう。ゲームシステムが先に決まる場合と、「テーマ」を先に決める場合とでは、手順が変わりますが、いずれにせよゲームシステムからの「テーマ」の抽出が、共通する基礎作業となります。
「テーマ」の抽出作業は、前項で述べたように「デザイン・コンセプト」と併せてゲームシステムを解析していくことが、遠回りのようですが、最も確実な方法です。将来的には、ゲームシステムごとの「テーマ」リスト提示が期待さるべきかも知れません。
ゲームシステムが決まっている場合は、選んだゲームシステムに適した「テーマ」の中から、参加者の嗜好、前回プレイとの比較、その場の気分などにより、ひとつを選択します。
映画や小説など、他のメディアから得られた雰囲気や、込めたいメッセージなどから「テーマ」が決まっている場合は、その「テーマ」を再現するに適したゲームシステムを選択します。
2、「テーマ」を活かしてシナリオを準備する
ゲームシステムのルールや設定、用語に則り、「テーマ」を再現できるようなシナリオを準備します。シナリオの準備に関わる手順やその構造には、通例のそれと大きな差異はありません。但し、基本プロットのみならず、(プレイヤーキャラクター以外の)登場人物の性格付けや動機、行動なども、原則として「テーマ」に反するものであってはなりません。
緊張感を和らげたり、気分や場面の転換を促すために、趣の異なる展開や登場人物を加えることは手法のひとつとして認められます。しかし、それらがプレイ全体に関わるような根本的な要素にまで影響を及ぼしたり、あるいは冗長故に参加者の最低限の緊迫感をも損ねるようになってしまっては、逆効果です。
例えば、シリアス調の「テーマ」の幕間にコメディ調の端役(主要登場人物であってはなりません)を登場させることで、場面の展開を示し、気分の転換をさせることは、次の重要な局面の緊張感を出すための良い前準備となります。(逆もまた然りで、笑い続けるにもまた限度があります。)が、その端役が多く出過ぎては、本来の「テーマ」自体が疎かになってしまうのです。もちろん、これらの問題処理はプレイ中の対処にも多くを頼っていますが、シナリオ準備段階でも注意は必要です。
3、「テーマ」を念頭に置きつつプレイを運営する
「テーマ」とゲームシステムの選択について、他の参加者から承諾を得られたならば、ゲームプレイ開始です。
「テーマ」を強調するイベントや主要登場人物の行動など、思う存分演出してください。プレイヤーも「テーマ」を承知の上ですから、協力はすれど妨害するはずはありません...多分。うっかり誰かがしてしまったならば、皆で合意した「テーマ」を思い出してもらいましょう。さぁ、気を取り直して、また続きをどうぞ。
シナリオ準備段階でも触れましたが、同じ「テーマ」を追い続けると気が張りますので、時には息抜きに雰囲気を変えるのも大切です。ただし、そちらの雰囲気の方をむしろ好む者には注意してください。今日の「テーマ」を忘れてはなりません。違う「テーマ」はまた次の機会にプレイできるではありませんか。
プレイ運営とは、プレイヤーを管理することではなく、プレイヤーの自由意志を極力殺さずに、プロットの展開に反映させることです。一番の難関は、マスターの力量を大きく外れる行動ですが、大丈夫。全員が同じ「テーマ」を念頭に置いているならば、その先にあるのもきっと(あなたにとって)未知の正解の筈ですから。
さぁ、楽しんでください!
(プレイヤーの作業手順)
プレイヤーの作業は、次の三段階です。
1、「テーマ」とゲームシステムの決定に参加する
もし予め言えるならば、プレイしたい「テーマ」の希望を示しましょう。提供されるものを受け入れるだけではなく、積極的に参加すべきです。マスター一人の想像力よりも遥かに豊かな変化を楽しめる筈です。
そうでなければ、マスターが用意した「テーマ」の是非を述べるのが最初の作業です。あなたの率直な意見を示すべきです。但し、譲歩も必要です。今回はあなたの好みでなくとも、次の機会があるでしょうし、力試しとして楽しめば良いではありませんか。毎回「テーマ」に変化を付けるようにすれば、参加者各人の嗜好が異なっていてもうまくいくでしょう。
最悪なのは、同じプレイに、各々違う目的で参加することです。それを避けるためにも、全員の意見を確認し、十分に話し合ってください。
2、テーマを活かしてキャラクターを準備する
「テーマ」で合意が得られたならば、それを活かせるような、あるいはせめて、それに反しない範囲で、キャラクターを準備しましょう。
性格や背景の設定が、導入を難しくしてはいませんか?キャラクター固有の能力が、雰囲気を乱すような傾向のものばかりではありませんか?もちろん困難は挑戦の相棒ですが、「テーマ」が優先される以上、責任はあなたにあります。もちろん十分に説明しておけば、他の参加者も助けてくれるでしょう。
他の参加者のキャラクターとの関係や駆け引きが、「テーマ」をより一層引き立たせることができるようであれば、優れたプレイヤーと言えるでしょう。
3、テーマを念頭に置きつつプレイに参加する
テーマに反する行為をしてはなりません。これだけが最低限気を付けねばならないことです。
総意であれ多数決であれ、シリアスな「テーマ」と決めたなら、あなたのスタイルに関わらず、冗談を言うのは控えめにしなくてはなりません。逆にコメディ調のテーマなら、誰の発言も、コメディの一環としての含みを前提にしておくべきでしょう。すべての参加者は「テーマ」に合うように行動する、このことを忘れず、冷静な駆け引きに努めてください。
プレイ以前に十分な了解を取っておきましょう。一度プレイが開始したなら、全員が互いに信頼を置かねばなりません。誰かがうっかり間違ったなら、軽く注意し合い、合意済みの「テーマ」を再確認しましょう。「テーマ」を十分に味わうことが、プレイの目的なのです。
さぁ、始めましょう!
(卓上RPGに関与する他の立場からの使用法)
ゲームマスターとプレイヤー以外に、卓上RPGに関与する者には、ゲームシステムの「デザイナー」、製作会社や出版社等の「売り手」、そして「買い手」があります。これらの立場にとっても「テーマ」は、各々その作業を潤滑に進めるための重要な鍵として活用することができます。が、ここではあえてその説明は省略します。
まとめ
(「テーマ」活用の勧め)
あなたの前にゲームシステムがあります。さぁ、「テーマ」を抽出しましょう。「テーマ」を捜し求める作業は、そのゲームシステム(含背景世界)への理解を深めてくれる筈です。デザイナーお奨めの「テーマ」が見つかれば、そのデザイナーの意に適ったプレイが楽しめます。もしお奨め以外に、そのゲームシステムを活かせる「テーマ」が見つかったなら?あなたは、そのデザイナーを超えるプレイを楽しむことができるのです。
参加者が揃いました。さぁ、「テーマ」を提示しましょう。その「テーマ」は参加者にとって魅力あるものとなるでしょうか?やりたくないゲームをする必要はありません。やりたいのか、やりたくないのかすら判らないゲームも。けれど、最初に明確に提示されたならば、挑戦すべきです。少なくとも、それを楽しめるよう、心構えと努力はできる筈です。
プレイが始まりました。さぁ、「テーマ」を活かしましょう。「テーマ」はあなたのプレイに明確な指針を与えます。為すべきことも、為すべからざることも。これならば、初見の相手とでも安心して楽しめる筈です。暗黙の了解ではなく、明確な同意がプレイを支えるのですから。
常に面白い卓上RPGをプレイするためには、そのプレイの現場に「テーマ」の提示が必要不可欠である。
これが私の結論です。
(テーマの問題点と今後の課題)
以上の述べたような「テーマ」活用を私は大いに勧めるのですが、その最大の問題点は「実践不足」にあります。その背景に十年の経験はあれども、上記の理論自体はまだできたばかりの代物です。
少なくとも私にとっては、現段階で完璧な理論ですが、それも実践不足故でしょう。もちろん私は、今後「テーマ」を主眼とするプレイを実践していく考えです。
では公表には早過ぎるのでしょうか?多くの実践に基づく確証を得、理論以上の成果を挙げてから公開すべきでしょうか?私はそうは思いません。まずは私の最高の結論を示します。
実践を経て、多くの真の問題点が見つかったなら?その事実は、この理論に更なる発展を約束するでしょう。
(今後の課題)
実力と実践との不足が相まって、もっと具体的に詳解さるべき多くの課題が残っております。将来への予告も兼ね、ここに挙げておきましょう。
- ゲームシステムに関わらず「テーマ」を決めるために、映画や小説など、他のメディアからの「テーマ」抽出法
- 「テーマ」をシナリオに盛り込む方法やアイデア
- 「テーマ」に反せず、むしろそれを活かせるような、キャラクター作成の手引き
以上はいずれも、詳解しようとすれば非常な長文となるでしょう。残念ながら今の私には、それに足る経験も時間もありません。いずれ書ける機会が訪れることを待つこととします。
おわりに
「論考執筆に至る経緯」の中で触れた、既に"暗黙の内に"存在している「テーマ」について種明かしをしましょう。「ノリ」「お約束」「路線」などの言葉で説明されているものが、それです。
昨今のプレイの場ではこれらのものが、しばしば一種の不文律として働いています。しかしそれらが示す内容は、使用するゲームシステムによって、あるいはそれを遊ぶ集団によって変化します。しかも、その変化が明確に示されることはまず無いにも関わらず、その理解は義務と言ってよい程に強力に要求されるのです。それが理解できない者は、理解できるまで肩身の狭い思いをするか、その場を去る他ありません。
このような現象はおそらく日本のゲーム界固有の傾向なのではないかと考えます。そうであれば「世間」や「場を読む」と言った語で説明することも可能でしょうが、私はむしろそのような概念を明確に認識し、公開・共有することを勧めるものです。日本固有の風習は私にとっても馴染み深いものですが、少なくとも異国生まれの卓上RPGにとっては相性が良いとは思えませんから。
そしてまた、重要な部分を明確に示すことほど、参加者の幅を広げる努力は無いと考えます。何も言わなくとも分かる、そういう相手とだけ遊べればよいとは、私は思わないのです。
実のところ、上記「テーマ」論はまだ机上の論理に過ぎません。が、遊びの場への参加者に共通する方向性を、明確な言葉で表すことが必ずや益をもたらすであろうと確信しております。今後、私はこの「テーマ」を実践の場で活かす作業に移る考えですが、このような一視点が諸氏のプレイをより面白いものとするための一助となることを願ってやみません。
願わくば、すべての遊び手に、同じ楽しみを。その量においても、質においても。
(以上、本文部終わり。以下、補足)
補足1:「テーマ」の先例
様々なゲームシステムに触れていらっしゃる方であれば既にお気づきでしょうが、私が言う「テーマ」は、決して私独自の創造物ではありません。明文化されぬだけでゲーム誕生以来常にあったものであるばかりでなく、近年発表された幾つかのゲームシステムの中で挙げられた概念に多大な影響を受けております。すべての出典を示すことはできません(理由は、忘れてしまったから。ゴメン)が、その一部を挙げておきましょう。
WhiteWolf社のStorytellerシリーズ(Vampire :the Masqueradeなど)に見られる「Chronicle Concepts」と「Story Concepts」は、その示す内容において最も影響を受けました。前者はキャンペーンにおける、後者は一度のシナリオの類型のようなものですが、そういうものをパターン化して提示し、選択させるという発想は、私の「テーマ」考の礎となりました。
Black Gates社のLegacy :War of Agesの「Themes」は、主人公であるImmortal(不死の剣士)の存在自体が示す二律背反を羅列し、ゲームの主題として示したものです。プレイ毎に合意を図るものではなく、世界設定の基本理念のようなものでしたが、その回にどれを強調するか、という視点を推し量った上で、思うところがありました。
私の「テーマ」論は、これらの先達の遺産に、私自身の経験/研究の成果を加え、更なる展開をさせたものです。
補足2:失敗した「テーマ」
「テーマ」という発想を元にすると、その「テーマ」提示の失敗が商品としての失敗を招いた例があることに気づきました。三点ほど、挙げてみましょう。
Chaosium社(日本語版はホビージャパン社)の「クトゥルフの呼び声(Call of Cthulhu)」は、今日でも世界的に活発に出版が続けられているホラーRPGの決定版ですが、日本では残念ながらこの数年出版が滞っています。私はこの現状の大元は、雑誌等で行われる展開が唯ひとつの「テーマ」、「死と狂気を楽しむ」のみに寄り過ぎていたためと考えております。「死と狂気を楽しむ」という、コズミックホラーとしては順当でも、一般的ではない指向を強調しすぎたのです。良く言われたセリフ「クトゥルフでは最後、全員が死ぬか狂う」というストーリーラインは、それを好む者もいたでしょうが、商品として成立するほど多くには親しまれなかったのでしょう。ちなみに同ゲームで(当時は無意識にでしたが)私がよく選んだ「テーマ」は、「強大で邪悪な恐怖に苦しむ人を救う主人公たちの活躍」です。
同じくChaosium社/ホビージャパン社の「エルリック(Elric!)」(その旧版であるStormbringerを含む)も同様で、こちらでは「混沌の神々の謀略の駒とされる英雄たち」とでも言うべき「テーマ」ばかりを強調していました。勇者が悪者を倒してめでたしめでたし、というファンタジーに対する差別化のためだったのかもしれませんが、やはり大勢の支持は得られなかったのでしょう。原作である小説「エルリック・サガ」を読んだ友人が、「エルリックは、ああいう話ではない」と言っていたのをまだ憶えています。
Whitewolf社の「Vampire :the Masquerade」は、「RPGマガジン」誌(ホビージャパン社)上にリプレイが掲載されたことがあり、その翻訳がついに実施かと、当時強く噂されたことがありました。がしかし、「人間の娘と恋に落ち、共に逃げようとした吸血鬼を追うように命ぜられた(PCの)吸血鬼たちだったが、結局助けることができずに、二人は火炙りにされた」という筋のリプレイは、「吸血鬼の悲哀」という「テーマ」を十二分に表現したものの、結局その後の翻訳はありませんでした。その背景にどのような事情があったのかは知る由もありませんが、読者の反響が原因の一端ならば、初っ端の「テーマ」選択に問題があったのではないか、と考えるのです。
これらはすべて、唯ひとつの「テーマ」、しかも一般受けしそうにないもののみを強調したため、遊び手の限定=減少を招き、結局商品的に成り行かなかった例であろうと、私は判断しております。
補足3:「システムピラミッド」と「テーマ」
拙考「RPGデザイン考序説:システムピラミッド」を記したのは、今から2年前の1997年7月のことです。当時は、私の考えに「テーマ」という概念はありませんでした。
が、上記「テーマ」論を書き終えた目で再度読み直してみると、システムピラミッド第四層「シナリオ」をそれに焼き直すべきことに気付きました。もちろんシナリオの準備や舞台選択等もその中に含まれねばなりませんが。ちなみに、本論考で言う「デザイン・コンセプト」は、第一層の「世界観」に相当します。
いずれは、現在までに更に積み重ねられた体験や論考をも加え、再度書き直す必要が生じてくるのでしょう。