RPGにおける白人 (1994年執筆)

本論考は、1994年8月7日に執筆、1998年7月2日に発表されたものです。文中の趣旨が、現在の筆者の考察とは異なる場合もありますので、ご注意願います。

~卓上RPGにおけるキャラクター・イメージ~

はじめに

以下の論考は、私「鏡」が1994年に別名にて著したものです。友人数名にコピーを渡し、当時の卓上RPGに関して問題提起を持ち掛けるのに用いたものと記憶しております。既にお蔵入りさせたワープロ機で作成していたせいもあって、私自身の手元からは紛失していたのですが、友人の一人がコピーを提供してくれ、強く勧めてくれたため、この度の掲載と相成りました。

その後の4年間で、卓上RPG環境は多少変化しておりますが、論考の根幹となる問題は現在でも有効であるものと考えております。問題提起以上のものになっていない稚拙な論考であり、また一部に文法上おかしな個所もありますが、熟慮の末、ペンネームの変更と上記副題の追加を除けば、内容等には一切手を加えず掲載した旨を最初にお断りしておきます。

0.序

まず読者諸氏に一つ想像力を働かせていただきたい。

諸氏が体験したRPG(特にファンタジー)のシナリオの中で、あなたの分身(PC)はどのような姿をしているであろうか。

髪の色は?

瞳の色は?

肌の色は?

話す言葉は我々の世界でいう何語に近いであろうか?

諸氏の回答を統計するならば、おそらくは白人、特に英語圏(アメリカ、イギリス、など)のそれという答えが最も多いのではないか。

1.ゴーストハンターRPGについて

先日、グループSNEよりホラーのジャンルに属する「ゴーストハンターRPG」が出版された。「ログアウト」誌上で紹介されたいくつかの記事に刺激され、ホラーのジャンルに興味のある私も一部購入し、目を通してみた。そして何とも複雑な気分を味わったのである。

このゲームは、その原作(コンピューターゲーム「ラプラスの魔」など)の関係上、舞台を1920~30年代のヨーロッパにおいている。それを踏まえた上でキャラクター作成の項に次の記述がある。

名前

自由に決めてもらってかまいません。しかし、この時代、東洋入や黒人は不当な差別を受けていたので、キャラクターの名として、そうした特徴が目立つものは適切ではありません。そういった名前は控えてください

(ゴーストハンターRPG、ルールプックp.27右;下線は著者による)

いささか回りくどい言い回しではあるが、要するに、1920~30年代のヨーロッパにおける(非東洋人、非黒人=)白人のPCによるシナリオ・プレイを基本スタイルとしているようである。巻末等に掲載されているサンプル・キャラクターが、原作において"正体不明のヒーロー"的存在である「草壁健一郎」以外、全て白人らしきことがそれを証明していよう。

周知のことと思うが、原作「ラプラスの魔」はクトゥルフ神話をその手本としていた。いわば、ゴーストハンターRPGの原作の原作であるクトゥルフ神話小説を知る者であれば、このゲームの舞台が、それを意識したものであることはお判りであろう。(RPG「クトゥルフの呼び声」を知る者ならば、システム的な類似にもお気づきであろうが、それは間題にすまい。)グループSNEは日本人のゲームデザイナー集団であるし、このゲームをやるプレイヤー(ゲームマスターを含む)諸氏も、ほとんど日本人であろう。なのになぜ、東洋人(と黒人)を分身(PC)とすることを控えねぱならないような背景世界をわざわざ選んだのであろうか。有名ホラーRPGがそうであるからというのなら、それはあまりに安直であるが、それ以外に理由が?

2.ファンタジー・ジャンルなどにおける白人

日本のRPG業界(といってよかろうか)において最もそのゲームシステムの発行種数が多く、また各所で多くプレイされているのは"ファンタジー"と呼ぱれるジャンルであることは間違いない。

序文でも記したように、日本全国のPCの人種を統計したならぱ、おそらく白人が大多数を占めるであろう。しかし、ことファンタジーに限っては、次のような声も聞こえてこよう。いわく、

「ファンタジーは中世ヨーロッパ世界がモデルなのだから、そうであるのは当たり前だ」

と。

確かに米国産の数多くのファンタジーRPGは中世ヨーロッパ世界を意識して作られている。また、それらのゲームを手本に作られた日本のゲームも同様の路線を提示している。それらの流れを尊重するがゆえに白人PCによるプレイが趨勢を占めているというのであれば、なるほどそれは合点のいく説明である。また、ファンタジー以外のジャンル、SFやサイバーパンクなどもその原形は白人世界のものであるから、同様の説明があるかもしれない。

しかし私が考えるところでは、おそらく多くのプレイヤーは、白人PCをプレイしているとは意識せずに白人PCをプレイしているのではなかろうか。

彼らの頭にある(白人的な)PCは、現実的な自色人種ではなく、ゲーム関係の雑誌の表紙を飾るようなイラストのような人物であり、またゲーム的小説や漫画、あるいはアニメーション映画の登場人物なのではないか。弘司氏に代表されるそれらの美々しい絵柄は、私も決して嫌いではない。しかし、プレイヤーの想像するPCの姿がそうであり、その上で思慮なく白人的な名をそれに与えているのであれば、それは私の目には異様な光景に写るのである。

(極論を言えば、RPG関係の雑誌におけるアニメ的イラストは、その奇麗さとは裏腹に、RPG業界を順調に縮小衰退の方向に導いていると、私は考えている。これはその絵的価値ではなく、編集上の間題である。リプレイの存在と同じくらい有害な、これらのイラストについては後日論じる所存である。)

3、White Wolf誌上における人種に関する問題提起

アメリカの月刊ゲーム誌「White Wolf」に連載されている「Howling at the Moon」というコーナーは、ゲームに関する様々な社会問題を扱い、それについて意見交換をしようという企画である。最新の45号では女性に関する話題を提供しているこのコーナーの最初の二回は、ゲームにおける黒人(またインディアンなど)の扱いを論じていた。第1回(42号)では、黒人プレイヤーの目から見たRPGにおける白人優位の形、ファンタジーに見られる「白=善、黒=悪」の図式、ゲーム世界の設定やイラストにおける白人存在の優位性などが問題提起されていた。第2回(43号)では、それに応えて、黒人などの存在を無視してはいないという幾つかのゲーム・デザイナーからの返答が載せられていた。

他方、我が国のゲーム業界においては、RPGにおける東洋人の扱いが(それが日本人の作であっても)きわめて少ないことは間題になったことはないようである。国民性の故であろうか。

4、結論

私は、現在に至るまで、自分が国粋主義者であると認識したことはない。日本人のプレイヤーは日本人のPCをやるべきだと声を荒げる気もない。

しかし、この論を読んでいるあなたが、今まで"白人風の"PCを多くプレイしており、他の人種によるプレイを意識したことがないのならば、なぜそうであるかを自問自答してみるのも面白かろうと思う。

もし、そのスタイルを変える気にならないならば、次のような問いに答えてみてほしい。

「あなたは白人になりたいのですか?」