ジャンルのメジャー化 (1997年執筆)

本論考は、1997年12月8日に発表されたものです。文中の趣旨が、現在の筆者の考察とは異なる場合もありますので、ご注意願います。

活性化とは何か

卓上RPGの活性化とは何でしょうか。私は、さまざまな人間が参加できるようになることであると考えます。

卓上RPGの本質とは、複数人の参加者が、共通の仮想世界を舞台に、仮想人格を操って、さまざまな体験を楽しむことです。であるなら、それを楽しみたいと思うか否か、ということ以外には参加者に制限があってはなりません。(距離や時間による制限はここでは除外しています。)そうであってはじめて「RPGをやること」に「自由に参加できる」といえるのです。

しかし、そのような「参加の自由」は今の卓上RPGにあるでしょうか?

いいえ、ありません。

ジャンルの問題

「自由な参加」を阻んでいるものは何でしょうか。私は、少なくともその一つは、ジャンルの偏りにあると考えています。

私たちが書店やレンタルビデオ屋に入ったとしましょう。棚に並んでいる本やビデオは、量の多寡はあれども、さまざまなジャンルにわたって揃っています。私たちはその中から好きなものを選択できます。

大抵の人は、特定のジャンルの作品しか読もう(見よう)としないでしょう。一人にとって必要なジャンルは僅かです。では多くのジャンルがあることは無駄なことでしょうか?いいえ、個人の趣味範囲を大きく上回るヴァリエーションがあってはじめて、誰に対しても手に取る作品を用意することが可能なのです。

今卓上RPGのジャンルとしてある程度確立しているのは、ファンタジー、SF、サイバーパンク、ホラー、学園物、あるいはその亜流程度でしょうか。もちろんこれまでの経緯があって今があるのですから、それらの隆盛には異論ありません。

しかし、どのような経緯があれ、ジャンルが限定されているということは、そのままユーザーを限定することにつながります。今あるジャンルを好む者は来たりて、好まぬ者は去るのです。同じ趣味の者だけが揃って、新しい血を拒絶して、果たして活性化などありえるでしょうか。

もっとも、書店などに並ぶ全てのジャンルをゲーム化するのも無理でしょう。純文学のRPG化は私も勧めません。しかし、何がしかゲーム性のある題材であれば、それは十分可能なはずです。

野球RPG

例として「野球」を考えてみましょう。

プロ野球選手が華やかな球界を舞台とするも良し、高校野球での青春物も良し、草野球チームで結びついたさまざまな職業人が繰り広げるドラマでも良しです。クライマックスは無理矢理にでも試合にすると盛り上るのではないでしょうか。

システム面で必要なのは、野球の試合を解決するための判定方法などの他は、他のRPGと大差ありません。他には、日頃から野球に関するさまざまな知識の吸収が要求されるくらいでしょうか。

ところが、この案について私が参加しているサークルで話してみたところ、次のような意見が出されました。

「野球が好きな人はRPGなんてやらない。」
「やるとしても野球ゲームをやるだろう。」
「私はRPGで野球などやりたくない。」

これらのセリフから読み取れるものは何でしょうか。好みもあるでしょう。経験から導かれた教訓もあるでしょう。しかし結果として、「野球ファンがRPGで野球をする」こと、その可能性を排除しているようにも見受けられます。

ちなみに私自身は特に野球ファンというわけではありません。かなり改変したルールで何度かプレイしたことがあること、高校時代に野球の応援団にいたことくらいしか繋がりはありません。応援しているプロ野球チームは一応ありますが、試合をテレビで見ることも、試合結果を新聞で読むこともなく、そのチームの選手の名前もほとんど分かりません。野球に関する興味は平均以下なのです。

しかし、それでも「野球」をはじめとするスポーツが新しい開拓地になりえるジャンルのひとつであることには疑いを持ちません。

ジャンルの再考察

卓上RPGに関わる人達は、雑誌やインターネットなどで、しばしばユーザーの減少などを懸念しています。しかし、同時に「ユーザーの選別」を行っているのであれば、その懸念は上っ面だけのものです。いわば、自分が気に入っている相手の数だけを数えているようなものですから。

ごく僅かな例外を除き、現行のジャンルに共通する点が二つあります。

ひとつは「現実社会」から離れる方向にあることです。舞台が現代日本というだけで敬遠される傾向がありますし、キャラクターに他を凌駕する特殊能力があることは当然とされています。「現実と同じ世界を体験しても面白くない」という意見にことさらに反対する気はありませんが、その「意見」は「現実社会を舞台としたRPG」を否定する理由としては不十分なものです。

もうひとつは「戦闘」を含んでいることです。私も、「戦闘」をはじめとするスリルに溢れる場面は大好きです。(私の友人は「おまえは戦闘が好きなのではなく、アクションが好きなだけだ」と言いましたが。)しかし、戦闘が嫌いな者が「殺し合いが好きな者のやるゲーム」から離れようとするのであれば、その足を止めることができないのは残念なことです。

現在卓上RPGに親しんでいる者の好みはその中にあるのでしょう。しかし、自分の好みのために、新しい可能性を消し去ろうとしているのであれば、それは許されることではありません。私も含め、もう一度自分の食わず嫌いを再確認するべきなのではないでしょうか。

結論

以上、ジャンルの偏りについて述べました。

おそらくは、さまざまなジャンルへの試行錯誤がすでになされているのでしょう。私たち(ひょっとしたら私だけ)には見えないところで。しかし見えないなら結果は同じです。

卓上RPGの今、そして将来について皆さんが考える際に、参考意見のひとつとしていただきたいことは、次の通りです。

本当に今のジャンルだけで良いのか?
新しいゲームを作る時に現行のジャンルに捕らわれていないか?
現行のジャンルを好む人だけをプレイの対象にしていないか?

本当の意味でユーザー層を厚くするためには、卓上RPG自体の層を厚くしなければならないと、私は考えます。

蛇足:現行システムにおける「野球」の可能性について

蛇足ながら、最後に現行の卓上RPGプレイにおける「野球」の可能性について述べます。

私は現在自作システム「賽子数可変式(Variable Dice System)」の掲載準備を(まだゼロに果てしなく近いのですが)少しずつ進めております。上記の発想を得た時点でこのシステム上で野球を再現するルールについて考えましたが、幸いうまく表現できそうです。

これは自作システムを作成している他の方にも考えていただきたいことなのですが、「野球のRPG」でなくとも、プレイ上で「野球」などの判定が必要となることはありえるということです。

例えばクライマックスで敵対する誰かに詰め寄った時、PCが「じゃあ、野球で勝負だ!」と叫んだ時、マスターはどう処理すべきでしょうか?「このルールには野球に関するルールがないから、その行動は止めてくれ」とマスターが言うようでは、デザイナーとしてあまりに嘆かわしいことです。

それに味を占めて、毎回違うスポーツを持ち出すプレイヤーが出現する可能性もありますが、少なくとも毎回銃撃戦に終わるよりは面白いと思います。

マスター:その敵は「おまえたちの言いなりになる気はない」と言って君たちに詰め寄ろうとする。腕には暖炉の脇にあった火掻き棒が・・・。

プレイヤー:「待て!」と言って立ちふさがります。「ここは正々堂々と野球で勝負だ!」

マスター:さて、我々は千葉県立野球場に来ています。今しも人類の存亡を賭けた真剣勝負が始まろうと・・・

・・・例は良くないものの、可能性としては面白いと思うのですが、いかがでしょうか。

なに、面白くなるはずがないって?じゃあ、どちらの言い分が正しいか・・・

「野球で勝負だ!」