首ナイフのリアリティ
「声の大きい」即ち「多数派の」意見は、しばしば「常識」(Common Sense)と称されます。「常識」とは、ある人々に共有される(common)認識(sense)のことで、必ずしも「正しい」とは限りません。「首をナイフで切られたら、頸動脈などの急所が傷つけられて、即死する」というのも、間違った「常識」のひとつです。
正しくは、「頸動脈などの急所が傷つくほどに、首をナイフで切られたら、即死する」のです。「リストカットすれば動脈が切れて死ぬ」のではなく、「動脈が切れるほどリストカットすれば死ぬ」のと同じこと。表皮下の毛細血管ではなく、筋肉の下の重要血管を傷つけるには、次の三つのいずれかが必要となります。
- 殺人術。加害者が、頸動脈や頸静脈などの急所の正確な位置を知り、かつ筋肉の隙間からそれを切り裂く技術を身につけている場合。
- 腕力。加害者が渾身の力を込めて、急所の正確な位置など関係ないほど、深く大きな傷を与える場合。ナイフより大型の刃物に適する。
- 運。知識も技術も腕力もない加害者が、被害者の首に一撃を加えたところ、たまたま筋肉の隙間を抜けて、急所を傷つけてしまう場合。
例えばCD&Dでは、「強さ修正」によって「腕力」が、「バックスタブ」によって「殺人術」が表現されます。被害者がHP4以下の「一般人」などであれば、1D4の出目という「運」だけで即死するかも知れません。HPの高い「冒険者」はアメコミヒーローのような存在ですから、ナイフで一二度刺されてもへこたれません。
CoC7を含むCoCでは、「ダメージボーナス」によって「腕力」が、戦闘に用いる「技能値」によって「殺人術」が、「貫通」によるダメージ増加によって「運」が表現されます。「殺人術」より「運」が重視される点は、CoCの特徴と言えます。CoCはCD&Dほどには、殺人の専門家の頻繁な登場を想定していませんから。
これらのルールシステムには、「急所が傷つくほど首をナイフで切られたら即死する」という「世界観」即ち「ゲーム内世界のリアリティ」が込められています。もちろん、遊び手全員の「常識」が一致するなら、ゲームデザイナーの工夫や苦労や思い入れなど無視して構いません。もし、本当に皆の「常識」が一致した、なら。
しかし「首ナイフ」は、あるゲームプレイの参加した遊び手の間で「常識」が一致しなかった場合を問うているのです。意外と誰も触れようとしない、「常識」の不一致については、また別途まとめます。
さて、「首ナイフ」の「リアリティ」を更に追究してみましょう。「即死」しないかも知れない「首ナイフ」に(警官隊などの)包囲者が躊躇する理由として、次のようなことが挙げられます。
- 苦痛。たとえ死ななくとも被害者は、死んだ方がマシなほどの激痛を被る。
- 恐怖。たとえ死ななくとも被害者は、立ち直れなくなるほどの恐怖を被る。
- 後遺症。たとえ死ななくとも被害者は、人生を駄目にするような傷を負う。
- 盾。上体を起こされた被害者は、加害者への攻撃を代わりに受けてしまう。
- 対峙。加害者への敵意を被害者にも向ける構図が、包囲者のストレスとなる。
これらは「即死」と違って、ほぼ確実に効果を及ぼします。戦闘ルールによっては「盾」が、CoCの「正気度」では「恐怖」が表現可能ですが、「苦痛」や「ストレス」を表現できるルールシステムはあまりありません。このように読み取れば「首ナイフ」は、ゲームデザインに新しい可能性を期待する課題、とも解釈できます。それに応えうる新世代のゲームデザイナーが、もしかしているならば、ですが。