ボードベースとノベルベースを巡る、三つの二項対立

砂鉄さんのツイッター上での考察が、下記Togetterにてまとめられていました。TRPGにおける「ボードベース」と「ノベルベース」という二項対立が面白いので、私なりに考えてみます。

二項対立」とは、両極端な特性を示して比較することで、対象の多様性を確認し、その中での自分の位置づけを知り、未知の可能性までも探る、という考察の常套手段です。ミッションが「成功」か「失敗」か、セッションが「成功」か「失敗」か、「ロールプレイ」か「キャラクタープレイ」か、「強いキャラクタープレイ」か「弱いキャラクタープレイ」か、「自由」か「管理」か、などなど。

まず、上記Togetter(特に後者)から、「ボードベース」と「ノベルベース」に関する主な「ツイッター」(つぶやき)を引用します。カッコ内は、引用の都合による補足。「DM」と「GM」とは、共にゲームマスターを指します。末尾の(1)(2)(3)については後述します。

ボードベース
マップがあり、そこに敵のフィギュアが置かれ、自分のキャラクターも置かれるので状況が理解しやすく、初プレイヤーでも簡単に「何をすべきか」が分かる (1)(3)
初心者DMもシナリオブックを買えば問題なくDMとしてプレイできる。経験者0の状態でも割と楽しく遊べる (2)
(プレイヤーは、)とりあえず地図に示された地点に行けば話が進む (2)
(シナリオの問題点は、)「敵の配置が悪い」とか「クソMAP過ぎ」とか「宝が少ない」とかなので改善はさほど難しくない (2)
「クソマップ作ったから一回やってみよーぜ」みたいな軽いノリで初心者を増産する (2)
初心者の教育のしやすさは半端ない「ファイアボールの射程は10マスで範囲は3マスね」で説明が終わるので展開が早く、展開が早いのでシナリオが雑でも飽きられにくい (1)
視覚的に「ヤバい」「ヤバくない」をプレイヤーが共有しやすいというのも強い。どんな初心者でも「プレイヤーの2倍のデカさがある怪物のフィギュア」が置いてあったら注目するし警戒するので、話がとんとんと進む。 (1)
GMが一人でテストプレイした時に「あっやべこの魔法の射程に入ってんじゃん死ぬわ」とかエラーを発見できる (1)
ノベルベース側に比べれば(ゲームマスターに)要求される才能は少ない。マップが描けなくても市販品を金で買うという解決方法ある (2)
ノベルベース
(プレイヤーは、)「こういう場面では◯◯をすべき」という定石を知らないと何も出来ず、アヒルの子供のように上級者の後ろをついていくだけのプレイになりがち (1)(3)
どうしてもプレイヤーの「記憶力」が要求される。一度説明を聞いて一回で理解できる人間以外はノベルベースのTRPGでは遊べない。 (1)
(プレイヤーが、)シナリオを理解して適切な行動を取らないと話が進まない (2)
DMの能力向上が難しい。才能が無いと無理。「シナリオが悪い」みたいなのを改善するのは至難の業。シナリオを考えられる人間しかDMになれないという時点で詰み (2)
GMの仕事が多すぎる。ボードなら一発で終わる部屋の大きさとか、敵までの位置とかの説明を全部やらないと、結局プレイヤーに質問されて答える羽目になるし、すげー面倒臭い。(1)
(ゲームマスターの)頭のなかの曖昧なイメージを外に出せないのでプレイヤーから「顔が見えるって事は射線通ってるんじゃね?」「ごめんなさい...」しがち (1)
「自分以外のGMを育てる」のがめっちゃめちゃ辛い。(1)(2)
(ノベルベースであっても、ボードベースのように)紙とチップを活用することでGMは楽になる。上から見た簡単な間取り図にプレイヤーを模したチップを置いてもらうだけで面倒な室内が簡単に表現できる。未探索地域の場合、間取り図をエリア毎にパーツ化して、プレイヤーの移動に合わせて置くと楽 (1)

さて、これら一連の発言を拝読する内に、三通りの二項対立があることに私は気づきました。前二者は、「ボードベース」と「ノベルベース」とを巡る内側に。もうひとつは、両者の外側に。

第一の二項対立は、ゲームプレイ内の情報を視覚的に表現する「ボードベース情報処理」か、情報を言語のみで伝える「ノベルベース情報処理」か、という比較です。上記(1)は、これらについての言及です。

将棋や双六、ウォーゲームのように、地図などの「ボード」上でフィギュアなどの駒を動かし、視覚的に情報を共有するのが「ボードベース情報処理」です。対する「ノベルベース情報処理」では、あらゆる情報を言語で表現することで、視覚以外の情報(音や匂い、感情など)をも伝えようとします。小説(ノベル)のように並べられる情報を、語り手が上手に説明できるか、聞き手が正確に理解できるかは、双方の言語能力にかかっています。

第二の二項対立は、シナリオの構成が空間的な広がりに留まる「ボードベースシナリオ」か、構成が時間的にも広がる「ノベルベースシナリオ」か、という比較です。上記(2)は、これらについての言及です。

最も単純なダンジョン攻略のように、敵や罠や宝物の「現在」のみを扱うのが「ボードベースシナリオ」で、プレイヤーがボード上で「今、何をするか」だけが問われます。対する「ノベルベースシナリオ」では、「過去」に起こった事件、NPCの「過去」の経験と「未来」への展望、これから起こりうる「未来」の事件などが組み込まれ、それらにプレイヤーがどう関わるかによって小説(ノベル)のように複雑な物語が展開していきます。

「ボードベースシナリオ」であれ「ノベルベースシナリオ」であれ、戦闘場面では「ボードベース情報処理」が、交渉場面などでは「ノベルベース情報処理」がしばしば採用されます

「ボードベースシナリオ」には、「ボードベース情報処理」が適しており、交渉場面などでは「ノベルベース情報処理」も併用されます。抽象的なルールシステムを用いるのであれば、すべてを「ノベルベース情報処理」だけで運用することも可能ですが、ゲームマスターにもプレイヤーにも面倒となるでしょう。

「ノベルベースシナリオ」には、「ノベルベース情報処理」が適しており、戦闘場面などでは「ボードベース情報処理」も併用されます。情報をカードなどに記載しても、「情報の背景を読む」「複数の情報を連結する」「情報から次の行動を読む」などの複雑な作業は、「ボードベース情報処理」には当たりません。

第三の二項対立は、「何をすべきか」を当てて遊ぶゲームプレイか、「何をしてもよい」ゲームプレイか、という比較です。上記(3)は、これらについての言及です。砂鉄さんの「ボードベース」と「ノベルベース」とは、この二項対立ではどちらも前者に含まれます。

「何をすべきか」を当てて遊ぶゲームプレイにおいては、シナリオの各場面でプレイヤーが「何をすべきか」(キャラクターに何をさせるべきか)通りに遊ぶことが求められます。すべての「何をすべきか」が実行されれば、シナリオで予定された「成功」に至ります。それを目指して、ゲームマスターは「何をすべきか」が分かるように情報を与え、与えられた情報からプレイヤーは「何をすべきか」を読み取ります。「何をすべきか」が分からなければ、分かっても時間内に達成できなければ、ゲームマスターかプレイヤーかシナリオか、いずれかの「失敗」となります。

対する「何をしてもよい」ゲームプレイにおいては、「何をすべきか」はありません。たとえプレイヤーが自分自身に「すべきこと」を定めたとしても、それはゲームマスターにとっては「何でもよい」のです。ゲームマスターは遊ぶためのシナリオを用意し、プレイヤーはそこで遊びます。いつ終わらせてもよいので、「1時間遊んだら、今日はお終い」とすることも可能です。中途半端に終わっても、それは「成功」でも「失敗」でもありません。

「ボードベースシナリオ」であれ「ノベルベースシナリオ」であれ、「何をすべきか」か「何をしてもよい」かの、どちらも遊べます。「何をすべきか」を目指す方が達成感は上ですが難しく、「何をしてもよい」方がプレイヤーにとってもゲームマスターにとっても容易です。

あえて最も容易なゲームプレイを問うなら、「ボードベースシナリオ」を「ボードベース情報処理」で「何をしてもよい」ゲームプレイで遊ぶこと、となるでしょう。それが初心者向きかどうか、はともかくとして。

以上、砂鉄さんによる「ボードベース」と「ノベルベース」との二項対立について、私なりの考察をまとめました。「日本でTRPGが流行らない」云々は、私にとっては「どうでもよい」ことなので、触れません。

ところで、ツィッターというのはチャットと同様、考察に向いていないメディアである、と私は考えます。思いつきを思いつくままに書き込んでいく装置であって、それを整理し再考し推敲して論考とする余地がありません。ツィッターを並べるTogetterも、そこに良いアイデアを発見する機会はあれど、論考にまとまっていないのは勿体ない、と言わざるを得ません。