褒めるモチベーションが高いのは何故か
「褒められるとモチベーションが上がる」わけではありませんが、褒める者の「褒めるモチベーション」はしばしば「高い」状態にあります。今回は、「褒める」こと(賞賛、praise)とそのモチベーションについて、行動心理学に基づいて考えます。「褒める」とは少なくとも、善良な行為ではありません。
「褒める」とは、辞書では「相手の行為・業績などをすぐれたものとして評価し、そのことを口に出して言う」(『明鏡国語辞典第二版』大修館書店)などとされます。評価の基準まで含めれば、「褒める」とは、他人の行為などを自分の価値観に基づいて肯定的に評価することです。自分の価値観に基づいて他人を否定的に評価する「叱る」などを用いなくとも、「褒めない」こととの併用によって、他人を自分の価値観に従わせようとすることができます。いわゆる「マインドコントロール」(Mind control;心理的操作)の技法です。
「善いマインドコントロール」として、家庭で親が子に善悪を躾け、学校で教師が生徒に勉強を教え、会社で上司が部下に仕事を命じるのに関連付けて「褒める」ことがあります。善行、勉強、仕事などを自ら好んでやろうとしない相手(非動機づけ)を、「褒められる」という報酬のためにならやる状態(外発的動機づけ外的調整)へと「モチベーションを上げる」ために「褒める」のです。「善いマインドコントロール」は、あくまでも相手(子、生徒、部下)のためを思って、節度を守って行われます。
相手のためではなく自分のために、節度なく介入して、相手を自分の価値観に従わせようとするのが、「悪いマインドコントロール」です。親が子を、教師が生徒を、上司が部下を、店員が客を、またカルトのリーダーがメンバーを、自分の言う通りに行動させようと「褒める」のです。相手が好んでやっている行為(内発的動機づけ)でも、自分の価値観に合わさせるためには、その「モチベーションを下げる」ことも辞しません。なお、「善いマインドコントロール」に慣れた「素直で良い子」ほど、「悪いマインドコントロール」も受け入れやすくなります。
善かれ悪しかれ、これらのマインドコントロールは、B.F.スキナー(Burrhus F. Skinner)等の「行動心理学」(Behavioral psychology)によって説明されます。「褒める」ことは、「オペラント条件づけ」(operant conditioning)における「強化子」(reinforcer)のひとつです。即ち、相手がある行動をとった時に、その行動を「褒める」ことによって、その行動を相手に多く行わせるように働きかけることができます。これを「正の強化」(positive reinforcement)と言います。ちなみに、ある行動を「叱る」などしてそれを少なくさせることは、「負の強化」(negative reinforcement)と言います。
「褒める」ことによるマインドコントロールは、もちろん行動心理学より以前から行われていました。現在でも「褒める」者の多くは、それが「自分の価値観」を相手に押し付ける行為とは自覚せず、ただ「自分の価値観は正しい」と信じるが故に、そうしています。片や「褒める」ことで相手を操ろうと自覚する者も、やはり古くからいました。期待通りの行動をした相手を「褒める」のは、子供に対してであれ、奴隷に対してであれ、動物の調教と同じです。
さて、このように「褒める」者は概して「モチベーションが高い」状態にあります。「褒めてくれそうな相手の前で、褒められそうな行為をして、褒めてもらえるのを待つ」側に対して、「褒めたい時に、褒めたい相手を、褒めたいように褒める」のは極めて自律性の高い行為ですから。相手の行為に感嘆して「褒める」にせよ、相手を操ろうとして「褒める」にせよ、「やりたいことをやる」ほど「モチベーションが高い」ことはありません。
とはいえ行動心理学では、そのような内面には触れません。「褒める」者は、何らかの条件づけによって「褒める」ようになった、とするだけです。例えば、次の通り。
- 「褒めると、褒められた相手が喜ぶのが嬉しい」者は、「笑顔」や「感謝」によって「褒める」という行為が条件づけられている。
- 「褒めると、褒められた相手からの待遇が良くなった」者は、「優遇」や「安全」によって「褒める」という行為が条件づけられる。
- 「褒めたら、別の時に相手からも褒めてくれた」者同士は、「褒め合う」ことによって互いに「褒める」という行為を条件づけている。
相手に笑顔や感謝があったとしても、これらは慈善事業ではありません。意図的な「笑顔」や「優遇」であれば、相手がより多く「褒める」ように、更には自分に依存するように、調教しているだけです。「褒められる」ことによっても、相手を操ることができるのです。「褒めてもらえるようにする」のに慣れた「素直で良い子」同様、「褒める」「褒められる」「褒め合う」ことに餓えている者は、格好の餌食となります。専ら「悪いマインドコントロール」における一方的な依存関係は、このように構築されます。
調教が意図的でなくとも、「褒める」者と「褒められる」者とは、しばしば自覚のないまま、相互に依存する関係となります。その関係が「善いマインドコントロール」となるか「悪いマインドコントロール」となるかは、互いの節度が守られるか否かにかかっています。「褒めてやったのに、喜ばない」「褒めてくれそうなことをやったのに、褒めてくれない」などと不満を抱くようであれば、それは相手のためではなく、自分の期待感のためにやっているわけですから、既に「悪いマインドコントロール」側に踏み込んでいる、と言えます。
意図的であるか否かはともかく「褒めたい」者がいれば、現実社会には誰をも「褒めたくない」という者もいます。「褒められたい」者がいれば、「褒められたくない」者もいます。「褒めたい」者と「褒められたい」者しかいなかったとしても、それでも公然と「褒めよう!」という行為は、最悪の結果を生みます。どのように最悪なのか、私の考えを次回まとめます。