構造主義に至る主義

以前「構造主義」について書いた文章を、次のように訂正します。

「実存主義」に比べれば、「構造主義」の方が、まだ幾分かキリスト教的一神教的と解釈できます。

少なくともレヴィ=ストロースは、ユダヤ教徒なので。

さて、その後もクロード・レヴィ=ストロース『野生の思考』(みすず書房1976)等を購入し、少しずつ読んでおります。今回は「構造主義」に至る思想の流れについて、私の大雑把な理解をまとめます。

まず、哲学における「本質主義」や「実存主義」から「構造主義」への流れ。

  1. 本質主義」(Essentialism)にはキリスト教の影響が感じられる。人間には、まず同一不変な「本質」(Essence)があり、それに合わせて「実存」(現実存在)を得る。人間は、その「本質」通りに生きる。
  2. 実存主義」(Existentialism)は「本質主義」を批判する。人間には、まず「実存」(Existence)があり、「本質」は後から作られる。人間は「自由であるべく呪われて」おり、不安や責任を負って生きる。
  3. 構造主義」(Structuralism)は「実存主義」を批判する。人間の諸活動は、当事者にも不可知で永遠不変な「構造」(Structure)に従っている。文化や時代が代わっても人間はそれから逃れられない。
  4. ポスト構造主義」(Post-Structuralism)は「構造主義」を批判する。「構造」の存在は認めつつ、その支配力や永遠不変性を疑う。「構造」もまた、人間の活動によって生じたものである。

「本質主義」(一神教など)における「本質」と、「構造主義」(ストラクチャー教)における「構造」とは、私には似通った概念のように思えましたので、共に「キリスト教的一神教的」と理解した次第。誰がそれを創ったのか、と問われれば、双方とも「神」としか答えられそうにありませんので。

次に、人類学において「構造主義」は、「進化主義」や「機能主義」を批判します。

  1. 進化主義」(Evolutionism)では、あらゆる文化は同じように「進化」(Evolution)する。未開社会は進化の遅れた文化であり、習俗や迷信を改めれば、(西欧)近代社会のように進化できる。
  2. 機能主義」(Functionism)では、あらゆる文化は合理的にできている。未開社会の習俗などには何らかの合理的「機能」(Function)があり、表われ方が(西欧)近代社会と異なるに過ぎない。
  3. 構造主義」(Structuralism)では、あらゆる文化はその背景にある「構造」(Structure)に従う。西欧のように社会を変えていく「熱い社会」と、昔のままでいようとする「冷たい社会」とがある。
  4. 構造機能主義」(Structural-Functionalism)では、あらゆる文化はその背景にある「構造」に従っており、また各「構造」には何らかの「機能」がある。前二主義の合体。

更には、「マルクス主義」(Maruxism)の存在が無視できません。「階級闘争」による「唯物史観」が有名ですが、その背景にある理論が「唯物弁証法」です。「構造主義」も「実存主義」も、それぞれ「マルクス主義」の批判的継承を試みています。面白いのだけど、長くなるので、詳細は省略。

以上、きっと間違っているところがあるでしょうけど、新しい知識を楽しみましたし、過ちを恐れて口を塞ぐのも愚かしいので、公開。今後も気が向くままに学び続けますよ。けど、そろそろゲームの話にも戻ろうかなぁ。

上記の各主義に従えば卓上RPGはどのように論じられるのか、というお遊びを、別途書きたいところです。「RPG世代論」とか、経験値のこととか。