構造主義の資料と、議論の作法
金色老子さんからトラックバックをいただきました。有難うございます。私については末尾の、「構造主義」関係のところだけですが、謹んでお返事いたします。
まずは「構造主義」等について勉強する機会を与えて下さったことに感謝します。前回申し上げた通り、下記のような書籍(購入順)を買い揃え、今後も追加していく予定。特に翻訳書は妙な言い回しのせいで難しいけれど、入門書やウェブ上の資料に助けられながら、少しずつ読んでおります。
- 橋爪大三郎『はじめての構造主義』(講談社現代新書1988)
- 小野功生『図解雑学 構造主義』(ナツメ社2004)
- ジャン・ピアジェ『構造主義』(文庫クセジュ1970)
- クロード・レヴィ=ストロース『構造人類学』(みすず書房1972)
- エドワード・R・デザーコ『機能主義理論の系譜』(SD選書2011)
- ジャン=ポール・サルトル『存在と無』全三巻(ちくま学芸文庫2008)
サルトルの「実存主義」を批判したのが「構造主義」であり、「構造主義」を批判したのが「ポスト構造主義」ですから、前後を知ることで中間を理解する助けとしたいのですね。もちろん、すべての背景には欧米最大の思想であるキリスト教があります。
早とちりを恐れず申し上げますと、「system分解」はレヴィ=ストロースの神話分析の手法を参考にしているように思われますが、「system」自体は「ポスト構造主義」の段階に踏み込んでいるように思えます。ゲームプレイごとに「構造」を見出させるのは、「構造」の多様性を認めているからではないか、と。この辺、もう少し勉強してから改めて考察します。
各「主義」について読んでいて気づいたのは、卓上RPG(Table-top Role Playing Game)に関する過去の論考に、それらと似たものがあったな、ということ。「RPG世代論」は「マルクス主義」的にも「構造主義」的にも読めますし、「経験値を多く得られるように行動すべき」という理論は「機能主義」的です。あと、「リプレイ」は「パノプティコン」だな、結果的に。
白状しますと、私が最も心惹かれているのは、サルトルの「実存主義」です。「モチベーション」と同様に「自由」の話だし、私自身の宗教にも通じる感があるので。「実存主義」に比べれば、「構造主義」の方が、まだ幾分かキリスト教的一神教的と解釈できます。
以上は、中間報告として。
ところで、金色老子さんの上記記事の元となった、kumatanさんの「「RPG 内 ADV」というオママゴト」もまた、興味深い論考ですね。いずれ私なりの意見も(トラックバックにて)差し上げたいところ。私の考察とは必ずしも同一ではありませんが、多種多様な考察が共存し、刺激し合うことが望ましい、と考えます。
同記事への(既に消去された)コメントに、嫌がらせのような書き込みがあったらしいことは残念です。議論は相手があって成り立つものですから、相手がもう止めてくれと言ったら止めるのが作法。それを無視するのは、単なる嫌がらせ。ゲームプレイで同じことをすれば、相手はそのゲームで遊ぶのをやめてしまうでしょう。
もっとも上記は、ブログについての我が見解。ひょっとしたらツィッターとかでは、別の作法があるかも知れません。多数派が少数派をやっつけるのは正義、とか。