ゴールデンルール解説記事について

気が向きましたので、FEAR型「ゴールデンルール」の解説記事である、『ゲーマーズ・フィールド』誌16th Season Vol.2所収、久保田悠羅/司馬炳介「エリンディル・ステーション」(p.66~67)について考察します。私が重要と思う部分のみ引用しますが、できれば上掲誌にて全文をご確認されたし。

第一の項目「ゴールデンルールってなに?」では、それが「金科玉条」のことであると説いた後、ゲームマスター(GM)の権限である「ルールの裁定」について解説しています。「GMはルールを作成、および変更、さらには存在するルールを適用しなくてもよい」という部分です。

TRPGではルールに書かれていない状況を、可能な限りルールに沿った方法で、処理していく必要があります。(上掲誌p.66の2段目)

TRPG一般を語るのであれば、戦闘のように重要な状況のみをルールによって処理し、それ以外の状況は「設定」や「遊び方」に合わせて処理する、という方が多いでしょう。例えば「酒を飲んで酔っぱらったかどうか」(同p.66の2段目)は、「世界設定」に含まれる「その酒が強いか否か」や、「キャラクター設定」としての「酒飲みか否か」などに基づいて、GMかプレイヤーかが任意に決めるのです。なんでもかんでも「ルールに沿った方法で処理していく必要」はありません。

その方法を決めるのは誰でしょうか?(中略)その場でプレイしているGM、あるいはプレイヤーが決めるしかありません。とはいえ、意見が分かれたときに最終的に結論を出す人が必要になりますので、このような場合には審判役であるGMがその役目を担うことになるわけです。(同p.66の2段目)

上記解説から、次のような手順が読み取られます。

  1. 状況に対応するルールが存在すれば、そのルールで処理する。
  2. ルールが存在しなければ、可能な限りルールに沿った方法で処理する。
  3. どのような方法で処理するか、意見が分かれた場合は、GMが裁定する。

ルールを見つけるために、プレイヤーからの助言を積極的に受けることが推奨されています。ただし、それを使うか否かは、「存在するルールを適用しなくてもよい」権限を持つGMによって判断されます。

  1. 状況に対応するルールが存在し、それをGMが適用すれば、そのルールで処理する。
  2. ルールが存在しないか、あってもGMが適用しなければ、ルールに沿った方法で処理する。
  3. どのような方法で処理するか、意見が分かれた場合は、GMが裁定する
なんでもかんでもGMが勝手にルールの作成や改変を行ってよい、というわけではありません。(同p.67の1段目)

どのような場合であればGMは「存在するルールを適用しなくてもよい」のか、どこまでなら「ルールの作成や改変を行ってよい」のか、ここでは明確な解説はされていません。次の項目にあるように「シナリオの都合上、あるいは時間省略のため」なら良い、のかも知れません。「移動」についての例示ならありますが...。

TRPGには移動に関するルールがあります(戦闘では、移動は非常に重要なファクターとなりますから)。一方、戦闘以外の状況で、PCが移動するためのルールは存在していません(スクウェアルールは除く)。では、この移動のルールを戦闘以外で使用するとどうなるでしょうか?街の中を移動するのも、街から街へ移動するのもです。(中略)戦闘以外では移動のルールを適用しないことを、GMは無意識に選択しているのです。(同p.66の2段目~p.67の3段目)

残念ながらこれは、「存在しているルールを適用しなくてもよい」ことの例にはなっていません。

  1. 戦闘以外の状況でPCが移動するためのルールは存在しない。
  2. 戦闘用の移動ルールならあるので、それに沿った方法で処理すべきか?
  3. いや、それを適用しないことを、GMは無意識に選択しているのだ。

つまり、「ルールに沿った方法で処理しなくてもよい」ことの例なのです。

「存在しているルールを適用しなくてもよい」というなら、「戦闘用の移動ルールを、戦闘時に適用しなくてもよい」事例などが良いでしょう。GMはPCやNPCを、移動力を無視して任意の位置まで移動させることができる、とか。逆に、GMはPCやNPCを、移動力分で可能な距離も移動できなくさせることができる、とか。そしてこのような権限を、どのような場合なら行使してよい、と。

なお、「街の中での移動」や「街から街への移動」のための「ルール」が用意されたゲームシステムは、あまり多くありません(『ハーンマスター』や『キャッスル・ファルケンシュタイン』など)。多くの場合は、交通手段とその速度という「設定」を用いたり、ある場面から次の場面への移動については無視するという「遊び方」で処理します。

第二の項目「結果の棄却と決定」では、「みずからが確認していない、あるいは許可していないプレイヤーの判定やダイスロールの結果を棄却」できるというGMの権限と、「みずからが行なう(たとえばNPCの)判定やダイスロールの結果を、ダイスを振らずに決定できる」という権限とについて解説されます。

自分が有利になりたいがためにダイスをごまかすプレイヤーがいないとも限りませんし、判定しなくてもいい場面で勝手に判定され、適用されることを防ぐためのルールがこれです。(中略)もっとも、そちらの方がGMが面白いと思えば、そのまま適用してもかまわないでしょう。(同p.67の2段目)
  1. 判定すべき場面で、GMの確認の下でプレイヤーが判定すれば、結果は適用される。
  2. 判定しなくてもいい場面で、プレイヤーが勝手に判定し、GMが面白いと思えば、結果は適用される。
  3. 判定しなくてもいい場面で、プレイヤーが勝手に判定し、GMが面白くないと思えば、結果は棄却される。

判定すると、ダイスロールによって結果が分かれます。「判定しなくてもいい場面」とは、結果が分かれては都合が悪い場面、つまりシナリオ上で既に展開が決まっている場面のことです。ある場面が「判定すべき場面」なのか「判定しなくてもいい場面」なのかは、GMにしか分かりません。どちらの場面なのかをプレイヤーに伝えるか否かは、「GMの自由」です。

そして、判定結果をGMが面白いと思うか否かは、プレイヤーが判定した後でしか分かりません。GMは、「判定しなくてもいい場面」であると先に言って、プレイヤーの勝手な判定を禁じることもできます。あえて言わずに、わざとプレイヤーに勝手に判定させておいて、面白い判定結果なら拾う、そうでなければ「判定しなくてもいい場面なのに、勝手に判定した」として棄却することもできます。どちらの姿勢も、「GMの自由」として保証されます。

そして、次のGMは判定などの結果をダイスを振らずに決定できる―ですが、これは戦闘の時などに、NPCの攻撃や回避をすべてクリティカルにしてもよい、という意味ではもちろんありません。シナリオの都合上、あるいは時間省略のためなどの理由で、NPCの判定の結果をGMが任意に決めてよいということです。(中略)NPCは特に判定せずに失敗にしてしまってもよいのです。このような時、プレイヤーはそのNPC(GM)に判定を強要したり、ましてや勝手にダイスロールを行なって、判定の結果を決めてはいけません。そして、GMもこのゴールデンルールを運用する時は、あくまでも基本に公平なルール運用があることを忘れないようにしましょう。(同p.67の2~3段目)
  1. シナリオの都合や時間省略のために、GMはNPCの判定結果を任意に決めて良い。
  2. その場合でも、GMはNPCの攻撃や回避をすべてクリティカルにしてはいけない。
  3. プレイヤーはGMに判定を強要したり、勝手に判定したりしてはいけない。

「基本に公平なルール運用がある」とは言うものの、シナリオの都合や時間省略のためなら、GMは「ルールに沿った方法で処理しなくてもよい」し、プレイヤーはそうするGMに逆らってはいけない、というのです。ルールをも無視してGMがゲームプレイを主導する、という姿勢を、私は「極端なゲームマスター主導」と呼んでいます。そういう「遊び方」なのだ、と分かって参加していれば、誰も逆らうことはありません。

第三の項目「ルール運用を間違えた」については、あまり論じることがありませんが、技巧面でひとつだけ。

たとえば、戦闘でPCのひとりが死亡してしまい、しかたなく別のPCを作成し、ゲームに参加していたとしましょう。ところが、実はルールの処理に間違いがあり、正しいルールのとおりに戦闘を行なっていれば、PCが死亡することはなかったことが、ひょんなことから分かってしまいます。(同p.67の3段目)

「死んだと思われたが、実は死んでいなかった」という処理もあります。そのシナリオで再登場できるとは限りませんから単発セッションには向きませんが、キャンペーンプレイなら活かせることもあります。参考までに。

最後の項目「ゴールデンルールの適用」について。

ゴールデンルールは、『アリアンロッド』を遊ぶために最低限守らなければならない決まりです。とはいえ、遊ぶ時に特に意識する必要はありません。なぜなら、GMが無意識のうちに行なっていることほとんどだからです。それらを明文化し、GMに対して保証を与えている物―それがゴールデンルールなのです。(同p.67の4段目)

色々と、正直に申し上げますと。

本当に誰もが無意識に行なっていて、特に意識する必要すらないことなら、それを「最低限守らなければならない決まり」(ゴールデンルール)として強調する必要もありません。明文化して公式に保証するのは、そうしなければならない場合に、そうするのです。もちろんゲームデザイナーが特定の「遊び方」を推奨するのは悪いことではありませんが、それへの同調圧力が生じることは避けるべきです。

例えば、「特に意識する必要はありません。なぜなら、無意識のうちに行なっていることがほとんどだからです」というくだりは、「そうでない者は普通でなく異常」という意を含みます。文章を批判的に読めないと、こういう仕掛けに気付かず、皆と同じでなければいけないような強迫感に苛まれるでしょう。とはいえ、あらゆる文章を批判的に読むなど、特に意識する必要はありません。なぜなら、誰でも無意識のうちに行なっていることがほとんどだからです。それが普通で当たり前だよね?(同調圧力)

さて、以上のような私の考察に対して、「いや、そんなことはない!」と異論が寄せられることを期待しております。各位にはご賢察を開陳されましたら、是非トラックバック(またはメール)にてお知らせ下さい。知られたくないなら、仕方ありませんが。

何にせよ、今後も「ゴールデンルール」の更なる解説記事が発表されること、理想的には「ゴールデンルール」の本文が見直されることを期待します。私が誤解しているならば、私ですら誤解しなくてもすむように。