「場面」から「シーン」へ
前回の論考で、「シーン」と「場面」とは似て非なるもの、と述べました。では、どのように違うのか、今回は私の考えを記します。
なお、「場面」と「シーン」とに分けて考えるのは難しいという方は、「場面(シーン)」という概念に次の二種類がある、とでもお考えください。
まず「場面」とは、連続する時空間の一部を抜き出したものです。ある「場面」と次の「場面」との間の時空間は、省略されることはあっても、必ず存在します。存在しますから、プレイヤーがその間での行動を望めば、ゲームマスターはその「場面」を示さなければなりません。
例えば、「ある夜の某酒場」でのキャラクターの行動が終わって、ゲームマスターが「翌朝の某喫茶店」に移ろうとした場合。あるプレイヤーが「私のキャラクターは酒場を出た後、酒場の通用口を見張るよ」と言えば、ゲームマスターはその場面を、たとえシナリオ上は無意味であっても、描写しなくてはなりません。その時間のその空間は、省略するつもりであったとしても、ゲーム内世界には間違いなく存在するからです。
次に「シーン」とは、分断された時空間であり、またそれを並べたものです。ある「シーン」と次の「シーン」との間には事実上、時空間は存在しません。プレイヤーの提案を受けてゲームマスターが「シーン」を追加したとしても、それは無から生み出されたのであって、それ以前に存在していたわけではありません。
先の例でいうと、「ある夜の某酒場」と「翌朝の某喫茶店」との間に、「深夜の酒場通用口」という新たな「シーン」、今まで存在しなかった時空間が創造されるのです。シナリオ上は無意味であろうとも、プレイヤーがそれを望めば、ゲームマスターをそのシーンを急遽生み出すかも知れません。プレイ時間の無駄として、却下するかも知れません。
「場面」にせよ「シーン」にせよ、演劇や映画などにおける同名の概念が、その原型となっています。ただし前者では、現実世界と同じような自然な時空間の繋がりの中で、ゲームプレイ上で演劇用語を採用したに過ぎません。対して後者では、演劇や映画のような構成に合わせて、時空間の方を変えているのです。ひょっとして「演劇や映画のようなゲーム」という喩えの受け止め方が、両者の分水嶺となったのかも知れません。
これら「場面」と「シーン」とは似てはいても異なる遊び方であり、そこから得られる面白さもまた違う、と私は考えます。各々について次回以降、更に考えてまいります。