自由と管理との混在
ようやく本カテゴリーで当初に予定されていた最後の論考まで辿り着きました。「自由」と「管理」とが混在している状況では、どう遊べば良いか、という話。
私が考える「自由に遊ぶゲームプレイ」と「管理して/されて遊ぶゲームプレイ」とは、うまく混ぜ合わされば良いところ取りができる、というものではありません。これら本来「混ざらない」遊び方を、無理に、あるいは無意識に「混ざるようにして」遊んでしまった場合には、ゲームプレイに問題を生じます。これらの問題を避けるために、一連の論考の締めくくりとして「混在」に関する下記三点について語ります。
- 「自由に遊ぶゲームプレイ」と「管理して遊ぶゲームプレイ」とは、なぜ「混ざらない」のか。
- 両者を「混ぜるようにして」遊ぶと、どのような問題が生じるのか。
- 「混ぜるようにして」遊ぶことで生じる問題を、どのようにすれば回避できるか。
第一に、なぜ「混ざらない」のか、について。各々の遊び方では、「決める」者とそれを「待ち受ける」者とが異なるためです。
「自由に遊ぶゲームプレイ」では、「キャラクターにさせる行動」をプレイヤーが決めるまで、ゲームマスターが待ち受けることになります。ゲームマスターは、プレイヤーがキャラクターに何をさせても、それに合わせて状況を変化させます。キャラクターに「何もさせない」のは「時間をつぶさせる」という行動ですが、プレイヤーが何もしない、何も決めなければ、ゲームマスターもまた状況を変化させられません。
「管理して遊ぶゲームプレイ」では、「キャラクターにさせるべき行動」をゲームマスターが示唆するまで、プレイヤーが待ち受けることになります。プレイヤーは、ゲームマスターがキャラクターに何をさせて欲しいのかが分かれば、それに合わせてキャラクターを行動させます。ゲームマスターの意図が分かるまではプレイヤーは「様子を見る」「その辺をぶらつく」などで更なる示唆を待ち続けることになります。
ある人間が「決める」か「待ち受ける」かは、同時にどちらかしか選択できません。卓上RPGの参加者をゲームマスターとプレイヤーとに二分する限り、一方が「決める」側なら他方は「待ち受ける」側にならざるを得ない、これらは「混ざらない」、と考えるのです。
第二に、それでも両者を「混ぜるようにして」遊ぶとどうなるか、について。混ぜ方ごとに考えてみます。
まず、「自由に遊ぶ」ゲームマスターと「管理されて遊ぶ」プレイヤーとが混在すると、双方が相手を待ち受けることになります。例えば、キャラクターの家の近所で何らかの事件が起こった時、ゲームマスターはプレイヤーがその事件にキャラクターをどう関わらせるかを待ち受けるのに対し、プレイヤーはキャラクターをどう事件に関わらせれば良いのか、ゲームマスターの示唆を待ち受けることになります。お互い相手が決めるまで、小出しの情報収集で腹の探り合いを繰り返すようになり、ゲームプレイは停滞します。これは前者にとっては「自由に」遊べていないことになり、後者にとっては「管理され」ていないことになります。
逆に、「管理して遊ぶ」ゲームマスターと「自由に遊ぶ」プレイヤーとが混在すると、双方が自分の決めたことを相手に受け入れさせようとします。先の例では、ゲームマスターはプレイヤーにキャラクターをどう関わらせるべきかを示そうとするのに、プレイヤーはそれを待たず、あるいは示唆を無視する形でキャラクターを事件に関わらせるのです。双方の思惑がたまたま同じにならない限り、お互いに相手の身勝手に不満を覚えることになります。感情的になった方が席を立ってゲームプレイを中断させるか、どちらも我慢して不満を募らせたまま一日を過ごすことになります。これも「管理して」も「自由に」も遊べていないことになります。
また、プレイヤーが部分的にゲームマスターと遊び方が異なる場合は、「人数が多い方」か「声が大きい方」が、そうでない者を排斥することになるでしょう。多数派が多数決で「正しい」ことになり、混ざった部分は排除されるわけです。「管理して遊ぶゲームプレイ」に混ざった「自由に遊ぶ」プレイヤーは「自分勝手」なプレイヤーとして、「自由に遊ぶゲームプレイ」に混ざった「管理されて遊ぶ」プレイヤーは「遊べない」プレイヤーとして。
より複雑な混ざり方として、場面ごとに「自由」と「管理」とが入れ替わる、という事例も考えられます。事件にはゲームマスターの示唆通りに関わり、情報収集の前半はプレイヤーが好きに行動できて、あるNPCが登場してからは再びゲームマスターの誘導に合わせ、その事件の謎を解くか否かはプレイヤーが決めて良いが、どちらでもゲームマスターが最後の敵を出すので必ず戦って勝ちなさい、というような。この場合、ひとつひとつの場面がどちらの「遊び方」であるか、全員が同じ認識を持っていなければ、上記三種の混ぜ方を踏襲することになります。そして正しく共通認識が出来ていた場合は、それは場面ごとに「自由」と「管理」とを入れ替えているだけで、やはり「混ざっている」ことにはならない、と考えます。
以上のような「混在」は大抵、「自由に遊ぶゲームプレイ」と「管理して/されて遊ぶゲームプレイ」との片方しか知らないか、両者を明確に区別していない者によって無自覚に行われ、問題を生じるのです。
第三に、「混ぜるようにして」生じる問題を避ける方法、について。
大前提として、「自由に遊ぶゲームプレイ」と「管理して/されて遊ぶゲームプレイ」との異なる遊び方が存在する、と認識することが必須です。後者については「自由度」が高いものと低いものとを知っておいた方が良いでしょう。どれが好きか嫌いか、どれをやりたいか、などはどうでもよろしい。「ある」と思わなければ、それに取り組むことも、避けることもできません。
認識した者同士なら、今日はどちらで遊ぼうか?と「ぶっちゃけて」確認することもできます。しかしながら、そもそも「自由」だの「管理」だのは私がでっち上げた便宜上の用語ですから、このように尋ねても一般には通じないでしょう。また、自分が普段やっている遊び方が「唯一正しい」と信じている者が同席していたら、そういう話を匂わせるだけでも口論になりかねません。そこで、「皆がやろうとしているのが、どちらの遊び方か分からない」状況で、密かに確かめながら遊ぶ、という無難な方法を紹介します。
もし、あなたがプレイヤーで、ゲームマスターが(FEAR式)「ハンドアウト」や「今回予告」を出せば、それは「管理して遊ぶゲームプレイ」に間違いありません。何故なら、それらは「最も面白い展開」に基づいて作成されるからです。悩まず「管理されて」遊び、楽しみましょう。その「自由度」の高低、例えば「ハンドアウト」の内容をどこまで拡大解釈しても大丈夫か、などは低い方から試しましょう。端から大胆な改変案を示すと、過剰に警戒されたり、嫌がらせと取られるかも知れません。
「ハンドアウト」や「今回予告」が出なければ、次はそれらを使わない「管理して遊ぶゲームプレイ」を疑います。ゲームマスターの状況説明から、キャラクターによる特定の行動への期待が感じられたなら、その可能性は高まります。最初は期待に合わせるようにし、雰囲気が馴染んだら、それから外れそうな行動について「こんな行動はどうかな?」「こんなことやってみたりして~」と軽口をたたいてみましょう。ゲームマスターが平然としているなら、少なくとも「自由度」の範囲内と思われます。手探りで限界を探っていきましょう。...ただし、ゲームマスターだけでなく、他のプレイヤーの顔色にもご注意を。
このような調子で「自由度」の枠を広げていっても、「自由に遊ぶゲームプレイ」に辿り着くことはまずありません。最も高い「自由度」をこなせるゲームマスターなら、おそらく「自由に遊ぶゲームプレイ」を遊ぶ能力も有していますが、それでもその間には深い溝があります。それは、楽しむために「何をやってもよい」という遊び方を「やってもよい」と認識すること、「何をやってもよい」ことで楽しめること、自分と仲間とを信じ、その「自由」を受け入れることです。(卓上RPGに限らず)そういう体験があれば大したことではありませんが、そうでない者が最初の一歩を踏み出すのは意外と困難かも知れません。
「自由に遊ぶゲームプレイ」は、気心知れた仲間同士で、仲間が楽しむために卓上RPGを遊ぶなら、どのような場所でも可能です。あるいは初対面でも、互いを同じゲームを楽しむ仲間と思えるなら。私はそのような有様が、かつて卓上RPGが遊ばれていた環境であった、と考えます。しかしそうでないなら、コンベンションなどへ卓上RPGを遊ぶための相手を探しに行くだけならば、あるいは相手がそういう輩ばかりかも知れないならば、「管理して/されて遊ぶ」方が適切です。ただ、「自由」と「管理」とを比較して知っている方が、よりうまく「管理」し、「管理」されることができるでしょう。
最後に、ゲームシステムについて一言。ゲームマスターの意図をプレイヤーに伝えるための技術は、「管理」のためのものです。その最も成功した作品群こそはFEAR社製RPG諸作品ですが、他の日本のゲームシステム(例えばソードワールドRPGなど)にもその傾向が見られることがあります。一方、海外製RPGには、このような傾向がまったく見られないものが少なくありません。うまく「管理」するために「ハンドアウト」や「シーン制」を導入したくなるようなゲームシステムとは、元来は「自由に遊ぶゲームプレイ」を想定してデザインされたもの、と考えることができます。このような視点からゲームシステムに触れると、また新しい発見もあることでしょう。もちろん、「自由に遊ぶ」ようにデザインされたシステムで「管理して遊ぶ」のも「ユーザーの自由」です。
「自由に遊ぶゲームプレイ」と「管理して/されて遊ぶゲームプレイ」との双方を知っておけば、それらの違いによる問題を避け、卓上RPGをより楽しく遊べることができる。そのように期待して、本カテゴリー「自由に遊ぶ 実践篇」の論考本編を終えます。
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