自由と管理は混ざらない+魔獣戦線の件
xenothさんと水無月冬弥さんからトラックバックをいただきました。有難うございます。
- 自由と管理とプレイスタイル (xenothさん、xenothの日記)
- 魔獣戦線は(きっと)自由なTRPGです。 (水無月冬弥さん、TRPGと現代ファンタジーを愛する男のブログ)
>xenothさん
一点を除き、今回のxenothさんのご意見には概ね賛成できます。
「事前にシナリオを作らず、サプリメントなどを参照しつつ、プレイヤーに合わせて展開を決めていく」というのは、まさに「自由に遊ぶゲームプレイ」でしかできない、卓上RPGの原始的な遊び方ですね。キャンペーンシナリオの大枠などは、今でもそのように構築する方がおられるでしょう。「シナリオなしの即興プレイ」も、ゲームマスターの手腕のみに頼らず、皆で一緒にやれば、楽しい協同作業となります。
やがて、より高い創作性を求めたゲームマスターが、「凝ったシナリオ」「細かいシナリオ」を作るようになって「シナリオ構築のコスト」が上がり、それを「スルーされたくない」からプレイヤーを「誘導」するようになりました。ここに「管理して遊ぶゲームプレイ」の起源があります。「できる範囲でプレイヤーの行動選択を保障する」、その範囲こそ「自由度」であり、プレイヤーはその範囲を見極めながらプレイするわけです。
「自由に遊ぶゲームプレイ」でも「凝ったシナリオ」をやりたい方には、私が「手順4 : シナリオを作る」や「自由なダンジョンを作る」などで示した手法をお勧めします。「事件」「人物」「場所」などの骨組はしっかり作っておき、プレイヤーの行動に合わせて融通を利かせる、というものです。言わば「シナリオありの即興プレイ」です。
私が賛成できないのは、「自由に遊ぶゲームプレイ」と「管理して遊ぶゲームプレイ」を混ぜる、という案です。両者は根本的に異質なプレイスタイルですから、うまくブレンドすることなどできません。例えばプレイヤーは、「管理されて遊ぶ」なら「何をすれば良いのか」がゲームマスターから示されるのを待ち受けねばなりませんが、「自由に遊ぶ」のでは待っていても何も与えられぬまま途方に暮れるだけです。「待ってから動く」のと「待たずに動く」のとを、混ぜることはできますまい。
どちらであるか明確に分かれていないプレイ環境で、どちらであるかを推測しつつプレイすることなら可能です。が、両者は混ぜて使えるようなものではない、というのが私の考えです。xenothさんご自身の経験と賢察に基づいてそのための技法をご教示いただければ幸いですが、ひょっとしたら「自分の判断で遊ぶ」こと(自由)と「自由度に従って遊ぶ」こと(管理)とを混同していまいかとも心配します。
>水無月冬弥さん
断言しておきますが、私は「自由」や「管理」に関連して、水無月さんのゲームプレイや「魔獣戦線」RPGを想定して語ったことはありません。それどころか「魔獣戦線」について、存在はブログの記述で知っていても、内容は読んでいませんでしたし。(先の書込を受けて、少し目を通しました。)
そもそも「自由」か「管理」かは、あるゲームシステム(例えば「魔獣戦線」)でどちらかしかできない、ある人間(例えば水無月さん)がどちらかしかできない、ということはありません。あるゲームシステムで、ある人間(たち)が、1回のゲームプレイを「自由」か「管理」かのどちらで遊ぶか、という選択肢に過ぎないのです。
あと、「自由」と「管理」との間に、優劣はありません。好き嫌いはありますけど。
その上で、もし水無月さんが「魔獣戦線」のプレイ記録を取り上げて、その「自由」か「管理」かを私と論じたいなら、お付き合いしたいと思います。その場合、貴サイトの「セッションログ」辺りからどれかご指定いただければ、それについて私の分析を示します。ご検討ください。
「逃避行を持ちかけやがった」や「スキー板を持っていくと言い出しやがった」などの件、その「ある」「ない」を論じているのではありません。「自由に遊ぶゲームプレイ」において「GMもプレイヤーも楽しむ方法を提示してほしい」と水無月さんが仰ったので、プレイヤーとゲームマスターとが楽しむ対象としてそれらを示したのです。ゲームマスターもプレイヤーも共に「自由」に振舞い、互いが何をしでかすか分からない状況にこそ、「自由に遊ぶゲームプレイ」ならではの楽しみがあるからです。
「管理して遊ぶゲームプレイ」では、プレイヤーのあらゆる行動は、ゲームマスターが「認めるか否か」を裁定する対象となります。「逃避行を持ちかけた」途端にゲームマスターが怒り出すかも知れない、泣き出すかも知れない、ではプレイヤーは楽しむどころでは無いでしょう。
...さて。
このカテゴリーは、あと二つの記事で当初からの執筆予定を終了します。ひとつは「そこそこ自由なゲームプレイ」と題し、「自由なゲームプレイ」における「自己管理」について述べます。もうひとつは「自由と管理の混在」として、「自由」と「管理」とが明確に分かれていないゲームプレイではどうすべきか、について考えます。今回のお返事でも、その一部には触れてしまっているのですけどね。