自由なミステリーに関する四氏へのお返事
随分と時間を掛けてしまいましたが、「自由なミステリーを遊ぶ」にトラックバックをいただいた、水無月冬弥さん、acceleratorさん、玄兎さん、Betaさんの四氏に、改めて御礼申し上げると共に、お返事を記します。
- 自由に(GMを管理して)TRPG (水無月冬弥さん、TRPGと現代ファンタジーを愛する男のブログ)
- GMの期待とシナリオの幅 (acceleratorさん、ブレーキをかけながらアクセルを踏み込む)
- [Question] 「制限」と「管理」 (玄兎さん、ペテン師の戯言。)
- [TRPG]ミステリーに自由が必要か? (Betaさん、GameDesign 西部劇TRPG開発日誌)
まず、「自由」「管理」「制限」といった語について理解され難いところが見えてまいりましたので、その辺を踏まえて、これらの定義を再度示します。表現を分かり易くすると、一部例外が無視されてしまいますけど。
- 「制限」...ゲームデザイナーが、ゲームマスターとプレイヤーとに等しく与える。ルールシステムや世界設定によって、ゲームマスターによるシナリオ内の状況やNPCの行動、またプレイヤーによるPCの行動に、「できないこと」「するはずがないこと」が生じること。
- 「管理」...ゲームマスターが、プレイヤーに与える。シナリオ内の状況やNPCの行動、ゲームマスター本人の発言などによって、キャラクター(PC)の行動に、「すべきこと」「すべきでないこと」が生じること。また、プレイヤーもそれに従うことで、ゲームマスターが「最も面白い」と思うゲームプレイを成立させること。
- 「自由」...ゲームマスターやプレイヤーが、各々自分自身に与える。「制限」内で、ゲームマスターはシナリオ内の状況やNPCを用いて、プレイヤーはPCを用いて、「何をしても良い」こと。
例えば、「海路が嵐」という状況において。嵐で船を出すためにどういう判定が求められ、どういう結果が生じうるか、が「ルールシステムによる制限」。天気予報で台風情報を聞けるか、嵐を止める魔術師を雇えるか、が「世界設定による制限」。そのような状況で、何をするかはプレイヤーが自分で決めて良く、どのような行動でもゲームマスターは対応し、それがどのような結果でもプレイヤーは対応する、のが「自由」。陸路を行けとか、宿屋に泊れとか、プレイヤーが次にすべき行動へNPCによって誘導されたり、ゲームマスターから直接頼まれる、のが「管理」。
では、以下は四氏各位へのお返事。
>水無月冬弥さん
まず、明確な間違いの指摘から。「ゲームマスターがプレイヤーの望むことしかしちゃいけない」のが「自由」ではありません。「プレイヤーがゲームマスターの望むことしかしちゃいけない」のが「管理」、そうしなくても良い、互いに「望むこと」を持ち合って遊ぼうというのが「自由」です。そういう楽しみ方の経験が無いと、「荒唐無稽」に思われるかも知れません。
さて、「自由にミステリーを遊ぶ」ことのプレイヤーにとっての面白さは、推理小説の登場人物が置かれるような状況に自分が立ち、しかも好きな行動で立ち回れることです。事件に対して、登場人物に対して、「謎」に対して、どのように接するもプレイヤーの発想と決断次第。「あなたは雪山の別荘に招待された。さぁどうする?」「朝起きてみると客が一人消えていた。さぁどうする?」「部屋に入ると死体を前に少女が血まみれのナイフを持って立っている。さぁどうする?」卓上RPGでしかできない「自由にミステリーを遊ぶ」面白さを満喫してください。推理小説と同じなら、推理小説を読んだ方が質の良い面白さが得られるじゃありませんか。
ゲームマスターにとっての面白さは、登場NPCと事件の真実とを手駒に、そういうプレイヤーたちの思いもよらぬ行動に対応していくことです。プレイヤーの行動に対して、どのように接するもゲームマスターの発想と決断次第。「スキー板を持っていくと言い出しやがった。さぁどうする?」「全員で家探ししようと言い出して判定にも成功しやがった。さぁどうする?」「いきなり少女に愛を告げて逃避行を持ちかけやがった。さぁどうする?」卓上RPGでしかできない「自由にミステリーを遊ぶ」面白さを満喫してください。推理小説のような話にしたいなら、推理小説を書けばいいじゃありませんか。
もちろん、推理小説のようなゲームプレイがそれはそれで面白いことは、私も知っています。その場合は「管理されたミステリー」の技法が有効だ、というだけで。お好きな方をどうぞ。
>acceleratorさん
水無月さんと私の意見の違いというのは、私が「ミステリーシナリオ」を「自由なミステリー」と「管理されたミステリー」とに分けて両方を認めているのに対し、水無月さんは前者を「つまらない」と断じて認めていない、ということと判断しています。どちらが面白いか、どちらで遊ぶかは、個々が自分の判断で決めれば良い、とするのが私の見解。
「制限」と「管理」との使い分けについては上記の通りです。「PCが濡れぎぬを被って...」や「海路は嵐」は、それだけなら単なるシナリオ内状況です。対して、ゲームマスターがその状況を用いてプレイヤーの選択を「誘導」しようとしてするなら「管理」、そういう意図がまったく無いのが「自由」です。プレイヤーがシナリオ内状況で不利になる行動に出た場合、ゲームマスターは「自由」では粛々とルール通りに対応するのみですが、「管理」では泣くか怒るでしょう。
「自由」に「盛り上がりどころ」や「(小説的)面白み」が無いこと、ご指摘の通りです。他人から与えられる「盛り上がりどころ」や「面白み」では満足できない者には、「自由」が向いています。
>玄兎さん
先のご質問の3番目「ゲームマスターがルールシステムを設定する」場合が、「制限はゲームデザイナーによる」という原則の例外のひとつです。
貴論考「マスタリングにおけるゲームボード」を用いるなら、「自由」と「管理」とは次のようになる、と考えます。
- 「自由」...「ゲームマスター/ディレクター/ダンジョンマスター型」「レフリー/ボードゲーム型」「万能型」
- 「管理」...「ゲームマスター/ディレクター/ダンジョンマスター型」「ストーリーテラー型」「吟遊詩人型」
私はどちらも面白いと思いますが、「レフリー型」を「TRPGではない」とお考えの方には、「自由」が理解され難いようです。
>Betaさん
貴重な資料を示して下さり、感謝します。ただ、小説用のルールをすべてゲームに当て嵌めるのは無理と考えます。
コメント欄にありましたように「卓上RPGで遊ぶ」のを「グラウンドで遊ぶ」で喩えるなら、まず「特定のゲームシステムで遊ぶ」と決めることが「サッカーで遊ぶ」に相当します。その場合、「サッカーのルール」が「制限」となりますから、バットでボールを打つことなどは許されません。その上で、選手一人一人がどのように動くかを、監督の指示通りに行うのが「管理」、選手一人一人が自分で決めるのが「自由」です。
...以上です。xenothさんからもトラックバックをいただきましたが、そちらへのお返事は別途記します。