自由な森を遊ぶ

ダンジョンの次は、野外を主たる舞台とした「ワイルダネス(ウィルダネス)・シナリオ」にて、「自由なゲームプレイ」の運用を考えてみます。例えば、次のようなシナリオ「自由な森」。

辺境に広がる未開の大森林。移動を妨げる山谷は無いが、密集する木々のため外から内部を伺い知ることはできない。この森のどこかに古城の遺跡があると言う。誰も辿り着いたもののない城の奥には、古代の秘密が眠っている...かも知れない。
  • 事件 : 未開の森、古城、そこに眠る秘密などの存在。また、それらを探索する依頼。
  • 人物 : 古城について語る依頼人、森の棲むモノ、古城に眠る何か、など。
  • 場所 : 出発地点の町、森の各エリア、古城(1エリアか、ダンジョンとして)などと、そこで起こるイベントなど。

ゲームマスターは森や古城に関する情報や依頼を示し、プレイヤーは「古城を探し当てようとする」「森の地図を作ろうとする」「森の住民と仲良くなりたい」など「自分が面白いと思う」関わり方を決めます。その後は、その関わり方に基づいて、時には関わり方を変更しつつ、「自分が面白いと思う」ようにキャラクターを行動させて遊んでいきます。

「古城を探し当てようとする」なら、ひたすら直進する、木に登ってみる、森の住人を探す、協力者を募る、焼き払う、などなど。自由に発想を巡らし、決断と実行を楽しみ、そしてその結果を悦びます。途中で珍しい野獣を見つけ、興味をかきたてられたなら、古城などより野獣生け捕りに専念するのも一興。「遊び場」でどう遊ぶかは、遊ぶ本人の「自由」なのです。

野外を舞台とする「ワイルダネス・シナリオ」では、「どこへ行っても良い」など「何をしても良い」範囲が大きくなります。キャラクターの能力や行為判定ルールの特徴、世界設定やシナリオ上の事情などがキャラクターに取らせる行動を制限したとしても、「やりたいことが多すぎて困る」「どれもやりたくて困る」と悩むことこそあれ、「何もできない」などはまずありえません。

「探し当てようとする」などの過程を存分に楽しめば、結果として「探し当てる」か否かは大した問題ではありません。遊ぶこと自体を楽しめば良いのです。

ちなみに「管理された森」では、「未開の森に隠された古城の噂を聞いたキャラクターが、森の中で適度に苦労した後に古城を発見、そこに眠る古代の秘密を目の当たりにする」などのように「最も面白い」展開が用意されます。こちらでの「どこへ行っても良い」とは、「どこへ行っても予定通りの展開になる」ことでなくてはなりません。結果として「古城を見つけない」などはあってはならず、どれほど多くの行動をしたとしても「何もできなかった」も同然となります。