手順2 : 仲間を集める
第二の手順では、一緒に遊ぶ仲間を集めます。手順1「ゲームを選ぶ」と順序が入れ替わることもあります。
「自由に遊ぶ」ゲームプレイでの楽しみは、互いに「自由な発想と判断」をぶつけ合うところにあります。その応酬から生じる物語は、単なる結果であり、楽しんだ残滓に過ぎません。重要なのは過程であり、そこでは次のようなことが行われます。
- 自分の「自由な発想と判断」を語ること。
- 相手の「自由な発想と判断」を受け入れること。
- 自分の「自由な発想と判断」を相手が受け入れてくれる、と信じること。
これらを「する」者、「自分で語り、相手を受け入れ、相手もそうすると信じる」者が、「自由に遊ぶ」ゲームプレイに適する遊び手であり、集められるべき仲間です。互いに「自由に遊ぶ」者同士で楽しむことは、それ自体が大切なものとなります。ゲームを遊ぶために仲間を集めるのではなく、仲間同士で遊ぶためにゲームを用いるのです。
そのような仲間関係は、ゲーム以前からの友人なら無論のこと、初対面の相手とでも容易に築けます。見知らぬ相手とはいえ、「ゲームプレイを皆で楽しむ」という同じ目的で集まった者同士です。「皆で楽しむ」ことを最優先する者ならば、誰でも「自由に遊ぶ」ゲームプレイに適しています。
逆に、「自由に遊ぶ」に適さない者とは、「皆で楽しむ」ことよりも優先させたい目的を抱いている遊び手です。例えば次の通り。
- ゲームの原作(小説など)を愛する余り、ゲームプレイの過程も結果も「原作みたい」で無ければ厭だ、という者は、この遊び方に向きません。
- リプレイを愛する余り、ゲームプレイの過程も結果も「リプレイみたい」で無ければ厭だ、という者は、この遊び方に向きません。
- シナリオ攻略や物語構築の成果に拘る余り、ゲームプレイを万事「上手くやれる」ので無ければ厭だ、という者は、この遊び方に向きません。
もちろん、リプレイや原作を愛していても、ゲームプレイ中はそれらより仲間を優先させるなら、何ら支障はありません。あるいは「上手くやろう」などと肩肘張らず、ただ気軽に遊びさえすれば。それだけ気をつければ、誰もが「自由に遊ぶ」ゲームプレイに適した者となりえます。