理論と論考、実践と技術

卓上RPGにおける理論と実践について、私なりの言葉の使い方(定義)を示します。何かの参考になれば幸いです。

私は、「実践」「理論」「論考」「技術」の四つの概念から成り立つ構造を考えます。ゲームに限らず、色々なことに応用できますが、卓上RPGについて述べるなら次の通り。

  • 実践 : ゲームプレイ体験そのもの。過去の体験の記憶すべてを含む。
  • 理論 : ゲームについて考えたことの集まり。最上であった実践が投影される。
  • 論考 : 理論(の一部)を言語化したもの。整理や他との共有が目的。
  • 技術 : 理論(の一部)を実現するための方法。実践への反映が目的。

ゲームプレイを一度でも「実践」すれば、大なり小なり「理論」が生じます。個々の体験から面白かった部分が集められ、卓上RPGの理想像が形成されます。その理想像を表現するイメージと言語とが重ね合わされたものが「理論」です。しかし「理論」を得たからといって、次回の「実践」にすぐそれを反映できるわけではありません。

「実践」も「理論」も、他人と完全に共有することはできませんが、不完全かつ断片的になら言語(文章化)による伝達が可能です。いわば「実践」を文章化したものがリプレイ、「理論」を文章化したものが「論考」となります。「論考」執筆中の思索、執筆後の議論などは、「論考」を補完するのみならず、「理論」を完成させるためにも役立ちます。

「理論」の完成度が高まると、理想像を「実践」で実現するための「技術」が導き出されます。「技術」もまた言語(文章化)によって伝達されますが、あくまでも「理論」の断片であって、それだけで期待通りの効果を発揮するとは限りません。どのような「理論」に基づいて編み出されたものか、「論考」を通して理解に努めるのが効果的です。

例えば、私が「馬場理論」と言う場合、それは馬場秀和氏自身の「実践」から導き出された、馬場氏にとって理想的な卓上RPGのあり方であり、「マスターリング講座」などの氏の「論考」から読み取られる、となります。それを真摯に理解しようと努めた後、賛同するか批判するかを考えるのです。

もしその「理論」を高く評価する者が既にいるなら、自分が感じる違和感をぶつけてみるのも、理解のための楽な方法となりえます。ただし、「論考」や「技術」を高く評価している者が、必ずしもその「理論」を理解しているとは限りません。その人なりの「実践」によって解釈に差が生じるためです。