論考データベースに意義はあるか
こちらで書いたことなどを前提に。
論考データベースに「意義はあるか」と言えば、どのようなデータベースであっても「意義はある」というのが私の結論です。どんな論考にも意義があるのと同じで、当たり前ですけど。
ただし、他者の論考をどのような基準で選別するかによって、性格も変わりますし、メリットも異なります。
「批判」を並べたデータベースは、論考同様、その人特有の考え方を浮き彫りにするでしょう。批判される論考の著者との違いはより明確になりますし、また別の論者が同じ論考について批判すれば、両批判者の差異も明白になります。書けるなら新しい論考を書いてしまった方が手っ取り早い場合もあるにせよ、十分なメリットと言えます。
自分と体験や考察が似ている論考を集めたデータベースは、そのまま選者=データベース作成者の人物像を表すものとなります。似た考え方の持ち主を募ったり、他人に読ませて教育したりして、似た者同士の派閥化というか、仲良しグループを作る助けとできます。こればかりは、多人数ではやらない方がよいでしょうね。基準がごっちゃになってしまいますから。
そして、自分が信奉する人物の論考をまとめたデータベースにも同様の効果があり、こちらはむしろファンクラブの形成に役立ちます。そこまでいかなくとも、その人物を崇敬する誰からも重宝される資料集となるでしょう。もっとも、オンラインで論考を示している者の多くは、自力でそういう資料を作っているでしょうが。
なお、選別基準を「役に立つ論考」などとするのは、避けた方が良いと考えます。あまりに傲慢な態度だからです。例えば「私にとって役に立った論考」若しくは「私の気に入った論考」とした方が、他者を評価する怖さ、責任の重さは軽減されるでしょう。
考えうる最悪のケースは、ごく少数のデータベースが権威化することです。特に、期待する癖に自分ではやらない者の「面倒くさい」「責任を負いたくない」という弱さに付け込んで、ゲーム会社やそれに準じる者がデータベースを作った場合、商品の販売促進が目的となるのはともかく、権威化の可能性と悪影響は最大となります。そのような運命だけは避けねばならない、と私は考えます。