「管理」を、「甲冑」に喩える

ここらで気分転換。最初のエントリーで触れました「喩え」について書きます。

しばらく前、「管理」とは喩えるなら「甲冑」のようなものだなぁ、と考えを巡らしていたところ。突然思い出したのが、次のセリフです。テレビアニメ「新世紀エヴァンゲリオン」から。

あれは装甲板ではないの。エヴァ本来の力を私たちが抑え込むための拘束具なの。その呪縛が今自らの力で解かれてゆく。私たちにはもうエヴァを止めることはできないわ。

(新世紀エヴァンゲリオン 第19話「男の戦い」より)

「管理」即ち「甲冑」とは、この「装甲板」と「拘束具」との二面性を示す喩えです。装甲が厚くなるほど、身動きは制限されますが、安全が確保されるわけです。そして、どちらの面を強く感じるかによって、「甲冑」を「装甲板」として好むか、あるいは「拘束具」として嫌うか、に評価が分かれます。

上記セリフを卓上RPGにおける「管理」に近づけるなら、「エヴァ」を「プレイヤー」、「私たち」を「ゲームマスター」と直せば良いでしょう。あるいは「ユーザー」と「ゲームデザイナー」とも。冒頭の「あれ」が何であるかは、ご想像にお任せします。

「自由」を嫌う者は、「管理」の「装甲板」としての特徴を有難く思っているのではないか、と考えます。それで何を守るのか、といえば、ある種の「物語」「ドラマ性」であろう、とも。この辺はいずれ改めて考察を示したいところです。

余談ですが、私が件のアニメを見たのは、この第19話から最終話までです。当時、一緒に卓上RPGを遊んだ相手から強く勧められたのですが、セリフは改めてDVDにて確認しました。意外と正確に憶えておりました。