「自由度」と「自由」とは別物
「自由」について確認しておくべきことを、もうひとつ書きます。「自由度」と「自由」とは別物だ、ということについて。
「自由度」とは、「どれだけ自由か」というよりは「どれだけ制限されないか」を示す、いわば量的な指標です。選択の余地が少なければ低く、選択可能な範囲が増えるほど高くなります。ただし、それが最低で「何もできない」場合と、最高の「何でもできる」場合とでは、共に「自由度」を話題とすることはありません。「自由度」が問われるのは最低と最高の間で、二者の「自由度」の高低を比べる時や、それを扱う者の期待と比較する時です。
対して「自由」は、強いて言うなら質的な指針です。「ある」か「ない」かだけの問題で、中間はありません。自分で決断するのが「自由である」状態で、私はこちらが自然な状態だと考えます。そういう「自由」をあえて放棄し、他人に決断を委ねる「自由でない」状態を、私は「管理」と呼んでいます。「管理されない部分は自由だ」という主張があるかも知れませんが、「自分で決めて良い部分」の決定を他人に委ねれば、それはやはり「管理」でしかないのです。
そして、「自由度」と「自由」とは別物です。「自由度」が高ければ「自由」なのではありません。高かろうが、低かろうが、行動を自分で決めるなら「自由」、他人に決めてもらうなら「管理」なのです。
「管理」での選択肢は大抵、「自由度」が許容する範囲を、更に限定したものとなります。「自由度」が高い場合、その大部分が切り捨てられることになります。むしろ「自由度」が端から低い方が、「管理」し易い、され易いとも言えます。「管理」する側は選択肢を選定する手間が省けますし、される側もあらかじめ把握しておく分量が減りますので。しかし必須条件ではありません。
「自由度」が高い方が「自由」にやりやすいのは確かです。しかし「自由」は、可能ならば「自由度」の範囲を逸脱しようとすることもありえます。「管理」では選択肢を減らすために「自由度」を利用しますが、「自由」にとっては「自由度」は時に邪魔者となります。もちろん、「自由度」を超える「自由」は「ある」にしても、他から「許される」か、そして本当に「できる」かは、これらもまた別の問題です。
…何だか難しく思われそうなので、卓上RPGっぽい例え話をひとつだけ。
キャラクター作成の時、その職業などの選択肢が多いルールシステムは、少ないものよりも「自由度が高い」と言えます。しかしルールシステム上はどれだけ選択肢が多くとも、ゲームマスターの方針に従って選ばれるなら、それはゲームマスターに「管理」されていることになります。「自由」に選ぶなら、各自の判断で全選択肢から選べることはもちろん、用意されてない職業すら求めうるでしょう。データ上不利になったとしても、自分が「やりたい」と思う職業を選ぼうとできるのが「自由」です。
行為判定や、シナリオ設定などでも何か挙げられそうですが、省略。