「進化」以前の一風景
あらゆる「進化」が同時に発生したわけではありませんから、すべての第一段階が必ずしも同居していたわけではありません。しかしながら、あくまでも一つの極論として、既に挙げた第一段階がすべて集まって成立したゲームプレイを想像してみましょう。
- 友人同士が「皆で楽しむ」ためにRPGを遊んでいた。初対面の相手とも友人同様に接し、内容よりも遊ぶこと自体を楽しんでいた。
- 「情報は、行動の結果である」という考え方で遊ばれていた。
- 実力に見合った難易度の導入設定で遊んでいた。
- まず判定前を想像し、次いで判定し、それから判定後を想像する。
- 敵が現れたら、勝敗を推測して、戦うか否かを判断する。
- 進むべき道筋は決まっておらず、ダンジョン構造の中を自由に探索する。
すべての参加者は、友人同士で仲良く遊ぶための企画としてゲームプレイに臨みます。ゲームマスターは、プレイヤーが遊ぶための場として、ダンジョンなどのシナリオを設定します。またプレイヤーは、皆で遊ぶのに無理が無いように、キャラクター(の導入設定など)について話し合って決めます。
プレイが始まれば、プレイヤーはPCにどんどん行動させ、その成否を判定し、描写します。行為判定とその(想像と)描写は、相互補完の関係にあります。PCの行動に合わせて、ゲームマスターも描写し判定し、情報を与えます。得られた情報の重要性は、プレイヤーがそれを活かすか否かによって、つまりプレイヤーによって決められます。
ダンジョンをどのように探索するかも、出会った敵と戦うか否かもプレイヤー次第です。即ち、ダンジョンに入った目的を達成できるか否かも、戦闘での勝敗生死も、プレイヤーの自由(即ち責任)となります。キャラクターがどうなったかという「プレイの内容」はともあれ、プレイそのもの、遊ぶこと自体を楽しむのです。
…このような遊び方が、確かにかつてありました。多くを欲せず、高みを望まず、ただただ「自由」に「気楽」に遊んでいた時代。それが日本の卓上RPG黎明期の一風景としてあったのです。