導入部の「進化」
シナリオプレイの導入部では、各プレイヤーキャラクター(PC)に「他のPCとの関係」「シナリオとの関係」「舞台世界との関係」の三種の設定が与えられます。これらの具体的な内容については、こちらに記しました通り、扱う難易度に大きな差があります。
さて、導入部における「進化」は、この難易度が課題となって起こった、と私は考えています。
- 実力に見合った難易度の導入設定で遊んでいた段階(安定)
- 実力と関係なく、高度な導入設定を求めた段階(不安定)
- 実力と無関係に高度な導入設定を提供するゲームシステムが開発された段階(安定)
最初期には、誰もが実力の範囲内で遊んでいました。「他のPCとの関係」は、専らプレイヤー同士のやり取りから生まれました(ゲームマスターも協力しました)。「シナリオとの関係」ではゲームマスターが主導権を持ちますが、具体的なところはプレイヤーがどう応えるかで決まりました。参加者の誰もが手探りで進めますから、各々の実力でできる範囲内でそれらが定まりました。また「舞台世界との関係」はキャンペーンプレイでは、何も無いところからはじまり、シナリオプレイごとに少しずつ増えていきます。手に入れる前から付き合った設定ですから、それを使いこなすのはさほど困難ではありません。これらは皆、無理の無い範囲で定められた設定ですから、楽しむのにもまた無理はなかったのです。
やがて、誰もが最高の達成感を、望むようになりました。運命的な出会いの中で、各PCの背景設定が微妙に絡み合った「他のPCとの関係」を築こうとしました。何ら避けうることのできない因縁や宿命を、「シナリオとの関係」に見出そうとしました。キャンペーンの末に得られるような壮大な「舞台世界との関係」を創作し、提供し合いました。最高のものを揃えれば、最高の達成感を得られる筈、とばかりに。しかし、それらを使いこなす実力が不足すれば、他のPCと絡めず、シナリオにも関われず、せめて舞台世界との重要かつ突飛な関係を披露するだけで、プレイ時間の終了を迎えました。これらは「失敗」や「事故」、あるいは「セッション崩壊」とも呼ばれ、人々の間に深刻な不安を引き起こしました。
設定の難しさには何ら疑念を抱かず、うまく扱えないプレイヤーに問題がある、プレイヤーに設定を扱わせるから「失敗」するのだ、と考えた者がいたのでしょう。シナリオプレイでうまく扱えるような設定をゲームマスター側で用意してプレイヤーに与え、プレイヤーは与えられた通りにプレイする、という打開策が生まれました。確かに調整された「他のPCとの関係」に従えば、PC同士をうまく絡めることができます。シナリオの一部として作られた「シナリオとの関係」に従えば、シナリオにうまく絡むことができます。見せ場を用意済の「舞台世界との関係」に従えば、シナリオ内でうまく活躍することができます。これらの、ゲームシステムの中に組み込まれた例としては、「オープニングフェイズ」における「シーン制」、「ハンドアウト」、「今回予告」(アクトトレーラー)などがあります。これらの功績で、参加者の発想をシナリオに調和させるという、「事故」の多い作業は不要となりました。誰もが安心して「最高」を要求できるようになったのです。