「いじめ」という呪術

あちらこちらで話題に上がっている「いじめ」問題について私も。

まず断っておきますと、私自身に「いじめ」の体験はありません。殴ったり殴られたりならありますし、それとは別に多対一の対立もあったけれど、それらは「喧嘩」などの名で呼ばれ、今言う「いじめ」では無かったのです。

そういう私の視点から言うと、「いじめ」とは近年人工的に作られた現象で、ある意味「呪術」の一種だと考えています。そのベースとなる現象はあったにせよ、今のような形に全国規模で定着させたのには仕掛け人(呪術師)がいる、と。それは「いじめ」という語を作り、流布させ、定着させた者たちと言えましょう。研究者にせよマスコミにせよ、全国的にそれが広まることで利益がある者たちが容疑者に挙げられます。もちろん彼らは善人の仮面を被っているし、自分でもそう信じているかもしれませんが。

そもそも「暴力」「傷害」「虐待」などと言うべき行為に「いじめ」などと命名する必要は無いはずなのです。しかし「ひらがなの呪力」というヤツで、そう命名することで可愛らしさを付与し、世間に肯定的に受け入れさせる効能があります。「平和主義」の影も垣間見えますが、「加害者」を「いじめっ子」、「被害者」を「いじめられっ子」と称することで、周囲への深刻感を軽減し、更には「いじめっ子」の罪悪感をも軽くする効果があります。そして同じ名前のことを皆がやっていると知られれば、それは「流行」となり、安心感が増すばかりか、「やらないと流行に置いていかれる」とでも思われかねません。

で、その加害者には、脳の発達障害が疑われます。自分の思考で行動しているのではなく、誰かにコントロールされて喜びを感じているものと思われます。私は精神科での治療をお奨めしますが、その奴隷根性を一部企業やカルト教団などは歓迎するでしょう。彼らの奴隷として一生を送るか否かは本人次第です。

被害者について。その自殺については、私は同情しません。そもそも自殺とは積極的・能動的な行動であって、それを選んだ責任は無視できません。また自殺とは、周囲すべてに対する嫌がらせであり、無差別な攻撃に他なりません。それを「選ばされた」かのように被害者扱いすると、易々と選ぶ知恵足らずが出てくるわけで、これまたそれで金儲けする仕掛け人がいるからですが…。

むしろ、そういう被害に合わなくなる方法をひとつ挙げておきましょう。
空手をやりなさい、と。
「空手をやるくらいならいじめられていた方がマシだ」とか「空手をやるくらいなら死んだ方がマシだ」というなら、お好きにどうぞ。選択肢は数多くあり、どれを選ぶかは本人次第なのです。