悦ぶのは誰か

半ば溜息のような呟きに、紙魚砂さんが応えてくださいました。感謝。

誰でも楽しめるセッションのやり方(1):(・_・)

拝読し、技術的なところについては納得しました。

で、私の方はまた「悩む」の時と同様「誰か」について考えてみます。つまり上記のような技法を使う相手はどういう人物なのか、ということです。「誰と遊んでいるのか」という環境は、次の三通りが考えられます。

1、友人
最初から友人同士で、遊ぶ手段として卓上RPGを使う、というものです。最初から趣味が似通っていることも多いのですが、「友人同士で遊ぶこと」そのものが楽しいので、技法無しでも問題なく楽しんでいます。そのことは他の遊びでも同じなので、卓上RPGを何となく遊び続けて、何かのきっかけで止めてしまう、ということもあります。

2、仲間
卓上RPGを遊びたい者同士、一緒に楽しもう、というもの。サークルやコンベンションで見られる二形態のひとつです。正直なところ遊ぶ相手は誰でも構わないのですが、出会った以上は一期一会で心を通わせようという意欲に満ちています。初対面の場合には技法が特に大切になりますが、一緒に遊ぶだけでも満足しているため、何か失敗しても不満はあまりありません。

3、道具
サークルやコンベンションで見られる二形態のもうひとつ。卓上RPGは一人では遊べないので、やむを得ず相手を求めただけ、というもの。卓を囲む相手は、「一緒に楽しむ仲間」ではなく「自分が楽しむための道具」ですから、自分が楽しくなければ(自分を楽しませてくれないなら)出来の悪い道具ということになります。技法は何より大切で、失敗は無価値を意味します。

ある者が三者のどれか?は、多分プレイ後に「反省会」をやるとよく分かります(やろう、というだけでも可)。「友人」同士なら「反省会」もまた「遊び」で、単なる突っ込み合いになるでしょう(飯食いに行こう、でお終いになるかもしれませんが)。「仲間」同士であれば「反省会」でも「一緒に楽しもう」としますから、真摯な意見交換(または良かった探し)となるでしょう。「道具」となると両極端で、「辛辣な糾弾会」を始めるか、反省会そのものを忌避するか。前者は役立たずの道具に怒りをぶつけるため、後者は自分がぶつけられるのを避けるためにそうなるのです。

コンベンションなどでは、相手が自分を「仲間」と受け入れてくれるか、「道具」扱いするか、プレイ前にはなかなか区別できないのが難です。それでも、自分がどちらでいるのかは、自分で決めることができます。

続くネタは思いつかないなぁ。