何をすれば良いのか、何をしても良いのか
ゲームプレイの現場では、時にプレイヤーは「何をすれば良いのか分からない」「PCに何をさせれば良いのか分からない」という状況に置かれることがあります。この状況もまた、前提となる考え方やシナリオの様式、要は「遊戯法」によって異なった解釈ができます。
前回述べた「減点方式シナリオ」や「加点方式シナリオ」では、シナリオの「あるべき展開」が定められており、プレイヤーが「するべき行動」(PCにさせるべき行動)もある程度決まっています。ゲームマスターはプレイヤーに「するべき行動」を伝え、プレイヤーはそれを実行することで、「あるべき展開」が実現するのです。
このような時、プレイヤーが「何をすれば良いのか分からない」のは致命的危機となります。努力や工夫の不足によってゲームマスターが伝えることに失敗しているのかも知れませんし、伝わってはいるのだけどPC設定と合わないなどの理由でプレイヤーが従うことが「できない」のかも知れません。「するべき行動」が分からない限り、往々にしてプレイヤーは「様子を見る」くらいで何もしませんから、プレイは停滞し続けることとなります。
もう一方の「分岐方式シナリオ」には「あるべき展開」がありません。「あるかも知れない展開」は考えられているでしょうが、シナリオの展開を実際に決めるのはプレイヤーが「する行動」(PCにさせる行動)です。ゲームマスターが伝えるのはせいぜい行動の選択肢で、従っても構いませんが、そうしなくてはならないものではなく、最終的にプレイヤーが何をするかが重要となります。
こちらにおいては、「何をすれば良いのか分からない」のは即ち「何をしても良い」と解釈されます。もっとも、「何をすれば良いのか分かる」としても「何をしても良い」のですが。ただし、「する行動」の結果について必ずしもゲームマスターが面倒を見てはくれません。プレイヤーには行動選択の自由と同時に、選択した責任が生じます。仮に即シナリオ終了となっても、それはプレイヤーの選んだ結果となるわけです。
…ちょっと分かり難いかも知れませんので、具体例を挙げてみましょう。冒頭、PCに何らかの依頼が持ち込まれたとしましょう。
「あるべき展開」がある「遊戯法」においては、依頼を受けるべきか断るべきかの判断材料が示されなくてはなりません。大抵は、依頼が持ち込まれただけなら「受けるべき」、内容が無茶なものなら「断るべき」です。FEAR式遊戯法ならばハンドアウトなどから判断できるかも知れません。明確な指示があれば「楽」に次へ進めますが、なければ選べないまま悩み続けることもありえます。
「あるかも知れない展開」しかない「遊戯法」においては、依頼を受けるべきか断るべきかは、完全にプレイヤーに任されます。依頼が持ち込まれたのは「受けろ」という意味ではなく、「受けても良いよ」という程度のことに過ぎません。断っただけならそこでシナリオが終了するかも知れませんが、依頼を受けない形で独自に依頼内容に関わることもできるでしょう。ゲームマスターもプレイヤーも、依頼を受ける場合と断る場合との両方を考えつつプレイしなくてはなりませんから、「楽」ではありませんが、「楽しい」ものにはなりえます。
しかし、どちらの「遊戯法」か分からない状況ではどうすべきでしょうか?私がしばしば使うやり方は、「あるべき展開/するべき行動」が明確ならばそれに従い、「何をすれば良いか分からない」ならば「何をしても良い」ものと判断する、というものです。もっと簡単な目安としては、ハンドアウトがあれば「あるべき展開」がある、と見て間違いないでしょう。そのために発案されたアイデアなのですから。