前回予告した通り、今回は「首ナイフ」における「常識の不一致」について考えます。より正確には、自分が「常識」と思っていた「予断」が、他の者が「常識」と思う「予断」とは、一致しなかった場合について。
まず、「予断」と「常識」、そしてルールシステムとの関係を示します。
首をナイフで切られたら「必ず即死」や「決して死なない」などと、「なりゆき・結果を前もって判断すること」を「予断」(Prejudgement)と言います。ひとつの「予断」に固執すると、それのみが正しく、必然であり、万人の「常識」(Common Sense;共有認識)である、と信じるようになります。
ゲームプレイにおいて遊び手が「予断」を持ち、しかしルールシステム通りではその結果にならないことがあります。ルールシステムは大抵「成功する可能性」と「失敗する可能性」とを織り込みますが、「予断」には「100%そうなるはずの結果」しかありませんので。この時、選択肢は二つ。
- 「予断」がどうであろうと、ルールシステムに従って結果を決める「ルール優先」
- ルールシステムがどうであろうと、「予断」に従って結果を決める「予断優先」
複数いる遊び手が、各々「ルール優先」と「予断優先」のどちらを選ぶか、また「予断優先」を選んだ者の「予断」の内容が他と同じか否かによって、次の四通りの選択結果があります。「常識の不一致」とは下記3の状態であり、2と同様、ゲームプレイの進行を阻害することになります。
- 全員が「ルール優先」を選択
- 一部は「ルール優先」を、他は「予断優先」を選択
- 全員が「予断優先」を選択、「予断」の内容は不一致
- 全員が「予断優先」を選択、「予断」の内容も一致
次に、「首ナイフ」を何通りか想定し、各事例での「予断」を考えます。
抽象的に想定された「首ナイフ」では、か弱い人質の首に狂暴な悪漢がナイフを突きつけていることでしょう。しかしながら、起こりうる「首ナイフ」を具体的に想定すれば、その状況は様々です。そこで「誰が誰に首ナイフするのか」を問う形で、何通りかの事例を挙げます。
ひとつには、「首ナイフ」する/されるのは「強者」か「弱者」か、で四通り。鍛え上げた実戦格闘家や歴戦の傭兵などは「強者」、幼児や寝たきりの病人などは「弱者」です。強弱とは絶対的か相対的か、などは省略。
- 「強者」が「強者」に首ナイフ
- 「強者」が「弱者」に首ナイフ
- 「弱者」が「強者」に首ナイフ
- 「弱者」が「弱者」に首ナイフ
もうひとつ、「首ナイフ」する/されるのは「プレイヤー用キャラクター」(PC)か「非プレイヤー用キャラクター」(NPC)か、で四通り。NPCを「エキストラ」などに分けるなら更に細分化されますが、ここでは省略。
- PCがPCに首ナイフ
- PCがNPCに首ナイフ
- NPCがPCに首ナイフ
- NPCがNPCに首ナイフ
組み合わせれば十六通りの「首ナイフ」。「弱者」のナイフは「強者」と同じ殺傷力を持つか、そして「強者」をも即死させうるか、NPCやPCのナイフは強弱やルールシステムに関係なくPCを即死させてよいか、あたりが争点となるでしょう。誰もが同じ考えを持つ、とは思えません。
「楽」なのは、全員「ルール優先」としてしまうことですが。全員「予断優先」で臨むなら、一々の局面で「予断」の内容を確認し、差異があれば調整し、その場での「常識」としなくてはなりません。もっとも、その調整は「楽」ではないものの、きっと「楽しい」ものとはなるでしょう。
そこで最後に、「常識」でない「予断」を、「常識」にする方法を挙げます。慣れた者同士なら、どれでも1分程度。
- 話し合いによる合意。ひとつの「予断」に全員が合意するまで、意見を述べ合う。
- 多数決による合意。最も多くの賛意を得た「予断」に全員が従う。同点なら、他の方法で。
- 権威に従う。最年長者が決める、ゲームマスター(GM)が決める、公式リプレイに倣う、など。
- 無作為に決める。じゃんけん、サイコロを振って出目で決める、など。
例えば、「GMが決める」場合。そればかりではGMの負担が増す一方ですが、「予断」の内容が異なるならGMが独断で結果を決め、プレイヤーはそれに従います。「首ナイフ」なら、「即死」か否かはGM次第。誰も逆らわなければ、ゲームプレイは遅滞なく進みます。
逆らうとしたら、「首をナイフで切られたら即死」を「常識」と信じ込んでいる者です。そのような者は、もしGMが即死としなければ、「常識で考えろ!」と「非常識なGM」を非難するでしょう。もちろん、その「常識」とは皆の「常識=共通認識」ではなく、彼だけの「常識=予断」です。
「常識の不一致」がゲームプレイを停滞させるのは、「首ナイフ」に限ったことではありません。「ルール」か、「予断」か。自分の「予断」か、皆の「常識」か。「首ナイフ」への回答で、その者の遊び方の本質が明かされてしまう、実は恐ろしい論題なのかも知れません。