前回は、「モチベーション」(motivation;動機づけ)が「高いか、低いか」についてまとめました。今回は「上がるか、下がるか」を、褒められることとの関係について考えます。低かったものが高くなれば、上がったことになります。
褒められると嬉しい。嬉しいから、また褒められたい。また褒めてもらえるように、頑張る。このような状態を「褒められるとモチベーションが上がる」と言うことがありますが、本当は「褒められることがモチベーションになっている」だけです。褒めてくれるかもしれない他者に依存しているので「非自己決定的」であり、極めて「モチベーションが低い」状態です。
「褒められるとモチベーションが上がる」とする、いわゆる「賞賛効果」(The effect of praise)は、E. B. ハーロック(Elizabeth B. Hurlock)による実験が端緒とされます。それが発表された論文 " An Evaluation of Certain Incentives used in School Work " (The Journal of Educational Psychology, 16(3), 1925)によると、子供たちを本人には知らせずに四つの班に分け、共通のテストをしては、班ごとに決められた評価を与える、と繰り返したところ...。
- 「点数に関わらず、皆の前で褒められ続けた」班の平均点数は、最初から最後まで上がり続けた。
- 「点数に関わらず、皆の前で叱られ続けた」班の平均点数は、最初は上がったが、その後は下がった。
- 「同室で、点数に関わらず褒められも叱られもしなかった」班は、最初少し上がり、その後停滞した。
- 「別室で、点数に関わらず褒められも叱られもしなかった」班の平均点数は、まったく上がらなかった。
よって、「褒め(続け)るのが、テストの点数を上げさせるのに最も効果的」と結論付けられました。
C. S. ドゥエック(Carol S. Dweck)は、どのように褒められたかによって「心のあり方」(Mindset)が変わり、モチベーションに影響する、という説を示しました。C. M. Muellerと連名の論文 " Praise for Intelligence Can Undermine Children's Motivation and Performance " (Journal of Personality and Social Psychology, 75(1), 1998)や『「やればできる!」の研究』(草思社2008、原題『Mindset』2006)で、次のようなことが説かれています。
- 才能や上手さ、成功などを褒められると、能力が発揮された結果が重視されると信じ、良い結果を出して高い評価を得たいと思うようになる。成長に必要なことであっても新しいことや難題には手を出さず、確実に成功できそうな慣れた課題だけに取り組む。努力は、能力が劣った者がすることなので、忌み嫌う。もし失敗の恐れがあれば、やめてしまうか、露骨に「わざと失敗する」。このように、能力を褒められるとモチベーションは低いものとなる。
- 日頃の練習や頑張りなどを褒められると、努力を積み重ねる過程が重視されると信じ、過程に精を出すことで高い評価を得たいと思うようになる。確実に成功しそうな楽な課題では努力のし甲斐が無いので、新しいことや難題に失敗を恐れず取り組む。能力は、努力すればいずれ成長するので、今の優劣は気にならない。全力で失敗すれば、難しさこそ楽しさと、再挑戦を試みる。このように、努力を褒められるとモチベーションは高いものとなる。
よって、「能力を褒めるのではなく、努力を褒めるのが良い」と結論付けられました。ちなみに先のハーロックも、後年の著作『児童の発達心理学』(誠信書房1971/72、原題『Child development』4th ed., 1964)で「特に重要なのは、(中略)その努力をほめてやることである」(上巻p.246)としています。
さて、上記の研究を、前回示したE. L. デシの「自己決定理論」で読み解きます。
- 褒められた者は、また褒められる報酬を期待して「外発的動機づけ、外的調整」(2)になった。褒められ続ける間、それがモチベーションとなっていた。
- 叱られた者は、また叱られる懲罰を避けようと「外発的動機づけ、外的調整」(2)になった。しかし叱られ続けたので、モチベーションを得られなかった。
- 前二者を見ていた者は、自分も褒められたいと「外発的動機づけ、外的調整」(2)になった。しかし褒められないので、モチベーションを得られなかった。
- 別室で前三者に一切関わらなかった者は、何らモチベーションになるものを得られなかった。
- 「能力を褒められる」と、結果を褒められる報酬を期待して「外発的動機づけ、外的調整」(2)になる。悪い結果を叱られる懲罰を恐れる余り、褒められるような結果を維持するのみで、それ以上には上がらない。
- 「努力を褒められる」と、過程を褒められる報酬を期待して「外発的動機づけ、外的調整」(2)になる。努力が実って成長し、その喜びを知れば、「外発的動機づけ、同一化的調整」(4)などに上がる可能性がある。
上記「外発的動機づけ、外的調整」(2)は、「皆の前で褒められる」名誉や「皆の前で叱られる」恥ずかしさが強ければ、「外発的動機づけ、取り入れ的調整」(3)となるかも知れません。
もし、褒められる者のモチベーションが当初「非動機づけ」(1)だった場合は、「外発的動機づけ、外的調整」(2)に「モチベーションが上がる」ことになります。逆に、既にモチベーションが高かった場合は、「モチベーションが下がる」ことになります。
「外発的動機づけ、同一化的調整」「外発的動機づけ、統合的調整」「内発的動機づけ」(4~6)といった高いモチベーションにある者が、その行為を誰かに「褒められた」からといって、「モチベーションが下がる」ことは、あまりありません。「褒められるためにやっているのではない」と、内心では不愉快に思うかも知れませんが。
しかし、「褒める」者の褒め方がものすごく上手で、「褒められた嬉しさ」「褒められない悲しさ」が目標や成長、行為そのものよりも甘美であったなら。あるいは、権威や人気のある者からの「褒められた誇らしさ」「褒められない恥ずかしさ」が殊のほか強いものであったなら。もしかしたら、嬉しさや誇らしさを得、悲しさや恥ずかしさを避けるために、本来のモチベーションを捨ててしまう恐れがあります。
そうなったなら、例えば「内発的動機づけ」(6)から「外発的動機づけ、外的調整」(2)に下がった場合、褒めてくれるかもしれない人が褒めてくれるかどうかが気になって、以前は楽しんでやっていたことでも楽しむどころではなくなるでしょう。もはや楽しむことよりも、褒めてもらうことの方が大切になっていますので。
よって、次のように結論付けられます。
- まだやっていない、あるいは、やり続けたいと思っていない行為なら、「褒められるとモチベーションが上がる」。仕事や勉強、健康を維持するための運動などは、褒めてやらせるのも一手。
- 楽しんでやっている、あるいは、既にやり続けている行為なら、「褒められるとモチベーションが下がる」。趣味や本格的な学問、全力で打ち込むスポーツなどは、褒めてやらせるのは愚策。
要は、褒める前に、「褒められるとモチベーションが下がる」危険を鑑みよ、ということです。
ところでモチベーションについて私が紹介した諸理論は、外山美樹『行動を起こし、持続する力』(新曜社2011)に網羅されています。素人の説明では満足できない方は、ぜひご一読を。
次回は「褒める」側について、心理学的に論じます。「褒める」者がいなければ「褒められる」者もいないわけで、むしろ問題なのは「何故、褒めるのか」なのです。