前回の「モチベーション」(motivation;動機づけ)の定義に従って、今回はその中身について考えます。モチベーションは、低いよりも高い方が、下がるよりも上がる方が良い、とされます。では、モチベーションが高いとは、どういう状態を指すのでしょうか。
この疑問に答えるのが、E. L. デシ(Edward L. Deci)等による「自己決定理論」(Self-Determination Theory)です。そこではモチベーションの高低を、量的な差異ではなく、質的な差異によって分かれる六つの段階として示します。これら六段階を、モチベーションの低いものから順に示すと、次のようになります。
- 非動機づけ。ある行為を、たまに何かの動機があってやりはしても、やり続けることは無い状態。
- 外発的動機づけ、外的調整。ある行為を、報酬を得、懲罰を避けるために、やり続けている状態。
- 外発的動機づけ、取り入れ的調整。ある行為を、名誉心や恥ずかしさから、やり続けている状態。
- 外発的動機づけ、同一化的調整。ある行為を、目標や成長に必要だから、やり続けている状態。
- 外発的動機づけ、統合的調整。ある行為を、やるのが自然なこととなって、やり続けている状態。
- 内発的動機づけ。ある行為を、それをやること自体が楽しいから、喜んでやり続けている状態。
まずは資料の紹介。「自己決定理論」については、デシとリチャード・フラストとの共著『人を伸ばす力』(新曜社、原題『Why We Do What We Do』)に説かれています。ただし上記の六段階には、中谷素之『学ぶ意欲を育てる人間関係づくり』(金子書房)p.38で引用された訳語を用いました。(引用元はR. M. Ryan & E. L. Deci, " Self-Determination Theory and the Facilitation of Intrinsic Motivation, Social Development, and Well-Being ", American Psychologist 55)
さて「自己決定理論」では、その人にとって「自己決定的」であるほどモチベーションが高く、「非自己決定的」なほどモチベーションが低い、とされます。「無理矢理やらされることよりも、楽しくてやっていることの方が、続けられる」と言えば、当たり前です。上記1の「非動機づけ」はモチベーションが「無い」状態で、5の「外発的動機づけ、統合的調整」と6の「内発的動機づけ」とがモチベーションが最も高い状態です。
以下、各段階について私なりに説明します。どの段階に上がったり下がったりしうるか、も書き添えます。
1の「非動機づけ」(Amotivation)は、最も「非自己決定的」で、モチベーションが最も低い、というより「無い」状態です。何らかの行為を、思いつきや命令などが動機(motive)となって単発的にやることはあっても、やり続けようとはしません。「何をするにも場当たり的で、続かない」「言われた時に、言われたことだけをやる」「言われない限り、やろうとはしない」状態です。報酬や名誉心などによって(5の統合的調整を除く)「外発的動機づけ」(2~4)に、あるいは興味をひかれて「内発的動機づけ」(6)に、「上がる」ことがあります。
対して、最も「自己決定的」で、モチベーションが最も高い状態が、6の「内発的動機づけ」(Intrinsic motivation)です。何らかの行為を、ただそれをするのが楽しいから、嬉々としてやり続けている状態です。絵を描くのが楽しいから描く、演奏するのが楽しいから演奏する、走るのが楽しいから走る、など。暇さえあればやり続け、可能な限り止めようとしません。興味を失って「非動機づけ」(1)に「下がる」ことはまずありませんが、報酬や名誉心などによって(5の統合的調整を除く)「外発的動機づけ」(2~4)に「上がる」ことがあります。
「非動機づけ」と「内発的動機づけ」との間にあるのが、2~5の「外発的動機づけ」(Extrinsic motivation)です。報酬や名誉など、楽しさ以外の理由で、ある行為をやり続けるようになった状態を指します。やり続ける理由がどの程度「自己決定的」かで、次の四段階に分かれます。
2の「外的調整」(External regulation)は、やれば金銭などの報酬が得られる、やらなければ懲罰が加えられるといった理由で、やり続けている状態です。報酬や懲罰が予期される限り、言われなくてもやる程度「自己決定的」です。報酬などが二度と与えられないと分かれば「非動機づけ」(1)に「下がる」ことが、名誉心を抱くなどすれば「外発的動機づけ」の高い調整(3~5)に「上がる」ことがあります。
3の「取り入れ的調整」(Introjected regulation)は、やれば誇らしく、やらなければ恥ずかしいという価値観を受け入れたため、やり続けている状態です。価値観を捨て去らない限り、自ら従わざるを得ず、やり続けることになります。価値観を捨て去れば「非動機づけ」(1)に、報酬や懲罰が残れば「外的調整」(2)に「下がる」ことが、目標や成長に必要となれば高い調整(4,5)に「上がる」ことがあります。
4の「同一化的調整」(Identified regulation)は、やれば自分の目標や成長に役立つ、と納得して、やり続けている状態です。目標そのものを諦めたり、目標のために役立たないと自分で判断して止めない限りは、やり続けることになります。目標を諦めれば「非動機づけ」(1)に、報酬や名誉心が残れば低い調整(2,3)に「下がる」ことが、目標や成長に必要となれば高い調整(4,5)に「上がる」ことがあります。
5の「統合的調整」(Integrated regulation)は、やるのが自然なこととなって、やるのが楽しくすらなって、やり続けている状態です。どのような理由で始めたことでも、モチベーションがこの段階にまで達すると、「下がる」ことはまずありません。「内発的動機づけ」と同じくらい「自己決定的」で、経緯を知らなければ見分けもつきませんが、「外発的動機づけ」が「内発的動機づけ」に変わることはありません。むしろ「内発的動機づけ」よりも強固なモチベーションです。
以上の六段階は、仕事であれ勉強であれスポーツであれ、ゲームなどの趣味であれ、それについてのモチベーションの高さを示します。すべてにおいて高いモチベーションを持つ必要はありませんが、何かについてモチベーションを「高める/上げる」にはどうすれば良いか、「低める/下げる」のを避けたいなら何に気をつけるべきか、を教えてくれます。
「ある行為を楽しんでやっていた者が、その行為に報酬を与えられたら、報酬が無いとやりたくなくなり、報酬を貰っても楽しさを感じなくなった」という実験結果が報告されています。「報酬」という働きかけによって「内発的動機づけ」(6)が「外発的動機づけ、外的調整」(2)にまで下がった例で、趣味を仕事にしてしまうと...というヤツですね。
そのような「報酬」のひとつに、「褒められる」ことがあります。次回は、「賞賛効果」とその批判を紹介し、「褒められる」こととモチベーションとの関係について述べます。