ゲームシステム「System」は、デザイナーである金色老子さんが仰るように、「構造主義」を参考にしてデザインされている、と考えられます。私なりの考察をまとめますと、「System」は次のように遊ばれるゲームシステムです。
- 「物語」の背景には「構造」(Structure)がある、と参加者全員が信じる。(構造主義)
- ゲームマスターは「物語」を「話の構造化」「ワールドガイド」等の形式に分解する。
- 「話の構造化」「ワールドガイド」等によって、「構造」が参加者全員に暗示される。
- 暗示された「構造」に従って、プレイヤーも「イベント表」「判定ルール」等を作っていく。
- 「構造」に従う参加者各人の自由な発想により、「構造通りの物語」が完成する。
卓上RPGを遊ぶ際、誰もが何かを信じています。「お約束」とも呼ばれる信仰には、例えば以下のようなものがあります。
- シナリオにおいてプレイヤー用キャラクター(PC)には「なすべきこと」がある。
- シナリオにおいてPCは何をしても良い。
- ひどい間違い(事故)がなければ、PC側の勝利に終わる。
- PCが自力で何とかしなければ、PC側の敗北に終わる。
- ゲームプレイは、「起承転結」の流れとなる。
- ゲームプレイは、小説のような流れとはならない。
- 誰かがつまらないと言えば、セッション失敗。さもなくばセッション成功。
- 遊ぶことに成功も失敗もあるものか。心配しなくていいんだよ。
「System」における信仰(お約束)は、あらゆる物語は「構造」に従って成立する、ということです。これを疑っては、「System」を理解することも遊ぶこともできません、多分。
ここで言う「構造」とは、語り部たちの背後に潜み、彼らを介して「構造通りの物語」を生み出すものです。それは非言語的なものであり、それ自体を明示することは困難です。そのため、他の方法で暗示して、共有しなくてはなりません。二項対立による「話の構造化」や、語彙とその重要度を示す「ワールドガイド」「場カード」「アクションカード」などは、そのために用いられます。
参加者に共有された「構造」は、参加者本人には認識できなくとも、参加者をして「構造通りの物語」を語らしめます。物語の中で何が起こるか(イベント表)、それらはどのように展開するか(判定ルール)、などは、どの参加者が発案しても、自然と「構造」通りになり「構造通りの物語」に寄与します。「構造」を共有する者たちが、自分たちの「物語」のために作った「ルール」なのですから。
他方、ゲームプレイに参加せず「構造」を共有していない者には、「構造通りの物語」のための判定ルールは作れません。そのようなものを外部から押し付けられても、「構造通りの物語」を邪魔するだけです。このような判定ルールは「律令」と呼ばれ、忌避されることになります。
さて、「構造」は常人には理解し難い、というのが「構造主義」の短所です。理解し難いなら理解し難いなりに納得しておけばよい、ということにできるのが長所です。「話の構造化」などを一応共有した上で、参加者各人が自分なりの発想でそれに手を加えていく。それらはすべて、共有された(はずの)「構造」に従っているのだから、すべて「物語」に寄与しているはずだ、と。そのように遊ぶのが、「System」なのではないか、というのが私なりに考えた結論です。
上記考察が間違っていたとしても、ここに至るまでの勉強は、無駄にはなりません。感謝、感謝。
正否はともかくとして。「構造主義」的ゲームプレイを私なりに考えて、ゲームシステムをデザインしたい気分になったのも事実。そこで始めたのが、拙作「Metsys」です。力及ばずながらも挑戦したいと思い、今後も継続してまいります。