ゲームデザインを解釈する主義

卓上RPGのルールシステムは多種多様であり、次々と新らしい工夫を凝らしたデザインが発表されます。何故でしょうか。

先の記事で述べた「進化主義」「機能主義」「構造主義」「構造機能主義」の、それぞれの立場から解釈してみます。

  1. 進化主義」的解釈では、あらゆるルールシステムは、唯一究極のゲームプレイを実現するために「進化」している。最も理想に近い(とある人が考える)ゲームプレイを実現するルールシステムが、(その人にとって)最も「進化」したルールシステムである。時代遅れのルールシステムであっても、最先端のルールシステムにおける工夫に倣えば、少しは「進化」できる。ルールシステムの多様性は、理想への近づき具合の差である。
  2. 機能主義」的解釈では、あらゆるルールシステムは、ゲームデザイナーによって想定されたゲームプレイを実現するための「機能」を果たしている。ルールシステムの新旧に関わらず、そこに込められた「機能」即ち「ゲームデザイナーの意図」は誰にでも理解できるものであるから、それを正しく理解し、適切に使用すれば、想定通りのゲームプレイを実現できる。ルールシステムの多様性は、そこに込められた意図の違いである。
  3. 構造主義」的解釈では、あらゆるルールシステムは、しばしばゲームデザイナー自身にも自覚されない「構造」に従っている。その「構造」即ち「ゲームデザイナーの感性」(内的願望)は、各ゲームデザイナーの個性であって、他者が自分の価値観で理解できるものではない。理屈を立てようとはせず、ルールシステム通りに遊べば、あるべきゲームプレイに行きつく。ルールシステムの多様性は、デザイナーの感性の違いである。
  4. 構造機能主義」的解釈では、あらゆるルールシステムは、その部分部分は「構造」即ち「ゲームデザイナーの感性」に従ってデザインされるが、それらが相互に働きかけることによって「機能」即ち「ゲームデザイナーの意図」を成立させる。部分には拘らず、ルールシステムの全体を見渡せば、ゲームデザイナーが想定したゲームプレイを見出すことが可能となる。ルールシステムの多様性は、意図と感性との双方の違いである。

うん、無理矢理。

ところで、前回論じた「RPG世代論」は、卓上RPGの歴史を「進化主義」的に解釈したものです。例えば、誰もが納得するような「第一世代」「第二世代」の後に、自分にとって理想的な「第三世代」を加えることで、それが自然な帰結であるかのように宣伝するのです。

マルクス主義」も、「進化主義」の一種と言えます。現在の最先端に至るまでの経過だけでなく、唯一究極の理想像までの「進化」を論じている点で、一線を画しますが。いわば、現段階で最も面白いゲームプレイを語るのではなく、「究極のゲームプレイ」(とその人が考えるもの)を挙げて、それを目指すことを語るようなもの。それもまた楽しいことですが、現状に満足している者には理解できないことがあります。

さて、ひとつの解釈を「信じる」者は、いざ自分がゲームデザイナーとなった時、その解釈に従ってルールシステムをデザインするものです。解釈と、それを反映したゲームデザインとの具体例を、次回示す予定です。(12/1:資料を追加するため、当面保留します。申し訳ない。)

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