『Role and Roll』誌Vol.81(新紀元社、2011年6月)の連載記事「アーカム計画」は、「『クトゥルフ神話TRPG』お助け相談室」。六つの「よくある問題とその対策」を示したもので、私めも『クトゥルフ神話TRPG』(CoC)を愛好する一人として勉強させていただきました。その末尾に、次の一文があります。
お助け相談と銘打ったが、もちろんこれらは一例にすぎない。もっといい方法や自分たちのグループに最も適した方法は必ずあるはずだ。
...「アーカム計画 : 『クトゥルフ神話TRPG』お助け相談室」『Role and Roll Vol.81』(新紀元社2011)
模範解答としては上掲記事で示された内容で良いとして、ここでは私なりの非模範的な解答を示してみます。まず、同記事で示されている六つの「実例」とは、次の通りです。
- 実例1 職業を選ぶときの問題
- 実例2 一般人であるがゆえの問題
- 実例3 サイコロの悲喜劇の問題
- 実例4 ゲーム途中の狂気の問題
- 実例5 恐怖の数値化の問題
- 実例6 バトル・サバイバル
実例1と2、実例3と4、実例5と6は、それぞれ同質の問題と捉えることができますので、計三つの解答で対応させます。
第一に、「実例1 職業を選ぶときの問題」と「実例2 一般人であるがゆえの問題」とは、プレイヤーが担当するキャラクター(PC)をどのように作成し、どのように行動させるべきか、という問題です。
端的に言えば、CoCにおけるPCは、一般人ではありません。彼らは「探索者」(Investigator)なのです。彼らが怪奇事件に身を投じ、その解決に取り組み、謎の背後にいる敵と戦うことは、ゲームプレイの大前提として決まっていることです。
「探索者」として行動する、と約束されているからこそ、「職業は、なんでもいい」のです。ただの「道楽息子」「政治家」「放浪者」「サラリーマン」ではなく、「探索する道楽息子」「探索する政治家」「探索する放浪者」「探索するサラリーマン」なのです。彼らは、たとえ〈クトゥルフ神話〉技能を持っていなくとも、市井の人ではありません。(同じことはファンタジーRPGの「冒険者」についても言えます。)
怪奇事件の影が少しでも見えれば、「探索者」であるPCは、それに自ら立ち向かおうとします。その行動をしたくてする者に、それをする理由は不要です。しなくてはならない理由を求めるのは、そうしたくない者がすることです。PCに怪奇事件に関わる機会を与えるのは、ゲームマスター(CoCではキーパーと呼ぶ)の仕事です。怪奇事件を探索して遊びたいプレイヤーは、PCを「探索者」として作成し、怪奇事件を探索させるのが仕事です。
「探索する道楽息子」「探索する政治家」「探索する放浪者」「探索するサラリーマン」などは、知人が巻き込まれていてもいなくても、金や名誉に引かれても引かれなくても、奇妙な事件を見逃すことはありません。理由が何も無くとも、偶然たまたま事件に巻き込まれるのは、ゲームマスターとプレイヤーとで合意済みのことなのですから。
第二に、「実例3 サイコロの悲喜劇の問題」と「実例4 ゲーム途中の狂気の問題」とは、技能ロールや〈正気度〉ロールなどで、ランダムに成功と失敗とが分かれることを、どのように扱うか、という問題です。
『クトゥルフ神話TRPG』が採用するBRPシステムでは、技能値や正気度などの能力がどれだけ高くとも、失敗する可能性が常にあります。逆に、どれだけ能力が低くとも、稀には成功するようになっています。このことは、成功確率を%で示すルールシステムにしばしば共通する特徴ですが、何故そうなっているのでしょうか?
サイコロの出目も、それによって決まる「成功か失敗か」も、サイコロを振った者の責任ではありません。サイコロを振って決める以上、プレイヤーは「常に成功しなくてはならない」わけではないのです。このようなルールシステムでは「成功か失敗か」は分岐点であって、どちらかで展開は変わるにせよ、ゲームプレイそのものは前進しなくてはなりません。
プレイヤーが判定に成功した時にはどうなるか、失敗した時にはどうなるか。その両方をゲームマスターは用意しておかなくてはなりません。こうなると、アドリブにも限度がありますから、行為判定は重要な局面でのみ行わせる、というのが無難です。
日本語の読み書きロールに失敗しても日記を読めますが、それを書いた人間が多重人格者のようであることには気づかないかも知れません。事件の真相を他の人に信じてもらえなくなるのは、それはそれで先行きが面白くなりそうなので、重要かつ楽しめる分岐点と言えるでしょう。
第三に、「実例5 恐怖の数値化の問題」と「実例6 バトル・サバイバル」とは、ルールブック収載のデータと、それに関わるルールシステムを、プレイヤーが効率的に利用して良いか、という問題です。
初心者でなければ、全参加者がルールブックを買って、データやルールを一通り理解して、効率的に利用する方が面白い、というか怖い、というのが私の考えです。
データは、それを扱うルールシステムを介して、その世界の物理法則や生物等の力関係、PCに可能な行動の範囲を示しています。ゲームマスターの描写が完璧で無ければ、もちろん誰も完璧では無いのですが、プレイヤーはデータによってしかゲームプレイの実態を掴むことはできません。実態を知ったからと言って、前述の通りBRPシステムでは、判定に必ず成功するわけではありませんけどね。
邪神や怪物のデータを、人間や普通の動物などと比較する。そして、武器のデータと戦闘関係のルールシステムを研究し、邪神や怪物に対してどの程度有効かを確認する。すると、勝てそうな相手と勝てなさそうな相手が、その時の状況や装備等によって常に変化することが分かります。戦えば必ず負けると思っていれば「逃げる」の一択だったものが、なまじ勝てる可能性があると分かれば「戦うか逃げるか」「勝てそうか負けそうか」で悩み、不安に慄きながら行動を決めなくてはなりません。ましてや、データを知りつくしたからと言って、BRPシステムでは戦闘に必ず勝利するわけではありませんからね。
ショットガンを持っているキャラクターが、巨大なひづめの跡を見つける。その時、キャラクターではなく、プレイヤーが感じるビミョーな恐怖は、データを理解していなくては味わえません。勝利の希望があるからこそ、敗北の恐怖と嫌悪感から逃れられないのです。しかも、勝利の確率が最後まで分からないのが、CoCのキモであって...。
...と、実例への非模範的解答はここまでです。
上記以外だと、「呪文」がCoCの大きな魅力です。あの、罰ゲームみたいなヤツ。このデータも知り尽くすと、何ともいえない味わいがあるのですが、今回は省略。
これらもまた解答の一例であって、「遊び方」の選択肢に過ぎません。諸氏に機会あらば、模範解答を試した上で、非模範回答をも試してください。それらの中から、自分たちのグループに最も適した方法を選ぶ。本論考が、その一助となれば幸いです。