xenothさんの「鏡さんへ」を拝読しまして、高橋志臣さんの論考「会話型RPG(TRPG)における〈プレイング〉の内実(改訂版)」についての私なりの解釈を、改めて示しておこう、と考えました。間違いがありましたら、高橋さんが訂正して下さるかも知れません。
まず私は、卓上RPGにおける「量的情報」と「質的情報」とを、次のような概念と理解しました。
- 卓上RPGにおける「量的情報」とは、ルールシステムによって処理される情報である。情報の定量がどのように結果に影響するかは、ルールブック内の記述で定められており、プレイヤーにとっても明確である。そのため、プレイヤーによるキャラクターの行動決定に対して、定量的な影響を与える。
- 卓上RPGにおける「質的情報」とは、ルールシステムによって処理されない情報である。情報の内容がどのように結果に影響するかは、しばしばゲームマスターの判断に任され、プレイヤーにとって明確でない。そのため、プレイヤーによるキャラクターの行動決定に対して、定量的には影響しない。
例えば『クトゥルフ神話TRPG』の「技能」は、数値が高いほど成功し易いことがルールシステムとして定められています。そのためプレイヤーは、値の低い「技能」よりも、なるべく値の高い「技能」をキャラクターに使わせようとするでしょう。また、キャラクターの誰かがやれば良いなら、その「技能」値が最も高い者にやらせるでしょう。このように「技能」はプレイヤーの決定に定量的な影響を与えますので、これを「量的情報」と呼ぶのは相応しいことです。
対して「街の人口」には、多くの場合それに対応するルールシステムがありません。人口1万人の街と1万5千人の街と2万人の街とがあったとして、2万人の街が1万5千人より、1万5千人が1万人より高く評価されるようにはなっていないのです。人口が多いほどサービスが充実しているかも知れない、仕事が多くあるかも知れない、などとプレイヤーに想像できても、その実態はゲームマスターに任されます。美術品のように、大きさや数量ではなく、「質」への主観的評価から価値が判断されるのですから、「街の人口」を「質的情報」と呼ぶのは相応しいことです。
このように考えて、「量的情報」「質的情報」といった分類名は適切な命名である、と私は判断しています。
以下は、この前提に基づいて、それを更に展開させた考察。ちょっと暴走気味かも。
- ある情報が「量的」か「質的」かは、対応するルールシステムの有無や、ゲームプレイごとでの取捨選択(遊び方)によって決まる。例えば『D&D第3版ダンジョンマスターズガイド』のような共同体作成ルールを応用すれば、「街の人口」は「量的情報」ともなりえる。また『クトゥルフ・ダークエイジ』などにおける武器の長さは、間合いのルールを採用すれば「量的情報」に、採用しなければ「質的情報」となる。
- 情報の中に、「量的情報」と「質的情報」とが混在することがある。例えば、『ダブルクロスThe 3rd Editionルールブック1』p.130に載っているエフェクトデータ「伸縮腕」は次の通り。
名称:伸縮腕、最大レベル:3、タイミング:メジャーアクション、技能:〈白兵〉、難易度:対決、対象:なし、射程:視界、浸食値:2、制限:なし、効果:手足を伸ばし、対象を攻撃する。このエフェクトを組み合わせた白兵攻撃の射程を視界に変更する。このエフェクトを組み合わせた判定ダイスを-[3-LV]個する(最大0個)。
このデータの内、「最大レベル」と実際のレベル、「浸食値」「判定ダイスを-[3-LV]個する」などが「量的情報」に当たる。そして「手足を伸ばし、対象を攻撃する」は「質的情報」であって、「手足を伸ばし」て攻撃以外の行動に使えるか否かは、ゲームマスターの判断次第となる。 - 同じ情報が、キャラクターの行動によって「量的情報」か「質的情報」かが変わることがある。上記「伸縮腕」の内「射程:視界」は、「射程:至近」「射程:武器」と比較する時は「量的情報」となるが、「射程:視界」内で判断する時には「質的情報」となる。例えば「伸縮腕」が、「視界」内なら本当にどこまででも届くのか、限度があるならどこまで許されるか、などはゲームマスター次第。
以上は、「量的情報」と「質的情報」とを新しい概念として受け入れた上で、考えを巡らせたものです。この概念を元にした考察は、プレイング、マスタリング、更にはゲームデザインにまで応用可能なものである、と私は考えています。