卓上RPGには、多種多様な「遊び方」があります。同じゲームシステム、同じ世界設定を用いても、それらをどのように活用して遊ぶかは、人によって様々です。このため一緒に遊ぶ相手次第で「遊び方」が変わり、多様なゲームプレイを体験することができるのです。このような楽しさの幅広さは、卓上RPGの特長のひとつといえます。
しかしながらゲームプレイへの参加者によって、「遊び方」への関心は様々です。例えば、次のような三通りの態度に大別することができます。
- 遊び方を軽視する、というか無頓着な者。遊べれば何でもよい、どのように遊んでも楽しさは変わらない、という者。
- 遊び方を重視する者。最大限の楽しみを得るために、最善の遊び方を見出し、それを皆で実践しよう、という者。
- 遊び方を絶対視する者。ある遊び方を正しいものとし、誰もが必ずそれを実践すべき、とする者。
上記三者は、「プレイヤーの中のメタ」で述べた遊び手の心理構造によって分かれている、と私は考えます。それに則って解説を加えると、次の通り。
- 「友人と」および「仲間とゲームを遊ぶメタ」の持ち主は、「遊び方」を軽視する。彼らにとって、その友人や仲間と遊ぶことが大切なのであって、どのゲームをどのように遊ぶかなどは方便でしかない。テキトーに選び、テキトーに遊べば良い。たとえ展開がグダグダになっても、楽しく遊んだことに変わりはないのだから。
- 「ゲームで物語を作るメタ」を含む「理想のゲームを遊ぶメタ」の持ち主は、「遊び方」を重視する。彼らにとって、理想的なゲームプレイを成立させることが重要なので、そのための手順は疎かにできない。どのように遊ぶかを皆で真剣に話し合って決め、その実践に全員が協力すべき。そうしなくては遊ぶ意義がない。
- 「私のゲームを遊ぶメタ」の持ち主は、特定の「遊び方」を絶対視する。卓上RPGの、あるいは特定のゲームシステムの、正しい遊び方は決まっており、その通りに遊ぶことが楽しいゲームプレイをしたことになる。それ以外の間違った遊び方は、私の貴重な時間を無駄にするから、廃絶または隔離されるべきである。
上記の各心理は、「メタ」な、つまり上位階層における思考を含むものであって、本人が自覚していないことも多々あります。例えば「私のゲームを遊ぶメタ」に無自覚な者は、期待通りでないゲームプレイを前にして不満や怒りを顕わにしても、その原因が自分の先入観にあるとは気づきません。「他の参加者が過ちを犯して、私を怒らせた」としか認識できないでしょう。
これらのような「遊び方」を選ぶ際に機能する「メタ」について、次回から「シーン制」を題材に、より詳しく考えてまいります。