TORG以前にも「場面」(Scene)という概念はありましたが、それはシナリオの構成要素でもなければ、プレイヤーの管理装置でもありませんでした。そのような「場面」概念は、ファンタジーRPGでのシティアドベンチャーや、「トラベラー」「サイバーパンク2020」「クトゥルフ神話TRPG」「深淵」(第一版)など、数多のゲームシステムで現在も用いられています。
「シーン」について考えるための資料として、「シーン」とは似て非なる「場面」についてもまとめておきます。
英語では同じ「Scene」ですが、私は「場面」と「シーン」とを異なる概念として使い分けています。「シーン」はTORG及びその後継ゲームシステムで、「場面」はそれ以外のゲームシステムで用いられています。以下、二つの概念の用法を比較します。
まず「シーン」の用いられ方は、「TORG型」でも「FEAR型」でも、次の通りです。
- シナリオは、その展開に必要な「シーン」を複数集めたものとして、作成される。
- ゲームマスターは、シナリオの「シーン」を、ひとつずつプレイヤーに示していく。
- プレイヤーは、示された「シーン」に自分のキャラクターを登場させ、行動させる。
これに対して「場面」は、次のように用いられます。
- シナリオは、ある時空間内で起こりうるイベントを集めたものとして、作成される。
- プレイヤーが自分のキャラクターを登場させ、行動させた時空間が、「場面」となる。
- ゲームマスターは、「場面」でのキャラクターの行動に応じて、状況を変化させる。
つまり「場面」とは、キャラクターの行動やイベントの発生に伴い、ゲームプレイ中に随時成立するものです。いわばシナリオを運用した結果であって、シナリオの構成要素として事前に作成される「シーン」とは、この点で大きく異なります。
「場面」は、世界設定上で成立しうる時空間で、そこにキャラクターが登場できるのであれば、プレイヤーの意思決定によって発生します。逆にキャラクターが登場しなければ、シナリオで想定されていた「場面」が生じないこともあります。ゲームマスターがプレイヤーに「場面」を示して誘導することは、プレイヤーが誘いに乗った場合に限って成立します。
いずれにせよ、シナリオの全体像を知らないプレイヤーの発想に従うのですから、ゲームマスターがゲームプレイを管理することは困難です。このような「遊び方」ではゲームマスターは、映画や小説を創造するかのようにゲームプレイの中にストーリーを描こう、などと望むべきではありません。プレイヤーも、ストーリーが与えられるのを待つのでなく、積極的にキャラクターを動かしていかなくては、時間を無駄に費やすこととなります。
ゲームプレイ中に「プレイヤー主導」で、つまりプレイヤーも責任を負って「場面」が作られていき、その連なりがストーリーを描いたり描かなかったりする。これが、「シーン」とは異なる「場面」を用いたゲームプレイの特徴です。