RPGの面白さは三本柱

「自由に遊ぶ」ゲームプレイの位置づけを示すため、論考を二本示します。一つめは、卓上RPGの面白さを、喩えとして適当であるかはともかくとして、「理系」「文系」「体育系」の三種に分類するものです。

  • 「理系」の面白さは、情報やデータを上手く使いこなす面白さ。挑戦する意欲を刺激し、成功すれば達成感が得られます。課題が難し過ぎると、緊張が諦めに代わり、やる気を失わせてしまいます。
  • 「文系」の面白さは、設定や偶然から物語を創り上げる面白さ。創作する意欲を刺激し、成功すれば満足感が得られます。予定調和が過ぎると、誘導が強制に代わり、やる気を失わせてしまいます。
  • 「体育系」の面白さは、自分の判断で自由に行動する面白さ。自尊心を刺激し、行動すること自体から充実感が得られます。精神が幼過ぎると、自由ではなく万能を求め、暴走してしまいます。

これら三種の面白さは、いわば「卓上RPGを支える三本柱」です。三本を均等にしてバランスを取るも良し。遊び手の嗜好に合わせて、ある柱を太く、他を細くするも良し。どれか一本を切り捨てたり、ある一本だけで支えることも可能です。極端になるほど、安定は欠くでしょうが。

「理系」「文系」は知的で洗練された楽しみ、「体育系」は原始的、本能的な悦び、とも言えます。本能だけのゲームプレイはすぐに飽きが来ますが、頭でっかちなだけのゲームプレイもまた窮屈なものです。どちらをも調和させてこそ、卓上RPGの面白さを存分に味わえる、と私は考えます。

さて、「自由に遊ぶ」とは、「三本柱」の内「体育系」の面白さを大切にする遊び方です。それ一本で支える「極端に自由な遊び方」から、他の二本と均等にした「そこそこ自由な遊び方」までが含まれます。共通するのは、「私が遊ぶ」という行為そのものから得られる悦びを、何よりも重視することです。「課題への挑戦」や「物語の創作」のような、ゲームプレイ内の結果を重視する面白さは、二の次、三の次となります。

私は私が面白いように遊び、あなたはあなたが面白いように遊ぶ。皆でそのように遊ぶ、ただそれだけの「ただの遊び」です。遊ぶことの楽しさが先にあり、それからその結果がある、のであって、その逆ではありません。結果を恐れずに楽しむだけですから、「モチベーション」(動機付け)や「すべき行動」に悩まなくて良い、という長所もあります。

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