玄兎さんからいただいたトラックバックへのお返事です。長らくお付き合いいただきまして、深謝いたします。
- 感想戦とオンラインセッション(2) (玄兎庵blog ; RPG)
「反省会」関係について、玄兎さんの仰る通り「自己評価を絶対的な物差しとして、向上は自省によってのみ促される」というご理解で結構です。「自分が面白いと思う」ように遊ぶことに「向上」があるか、はともかくとして。
玄兎さんからいただいたトラックバックへのお返事です。長らくお付き合いいただきまして、深謝いたします。
「反省会」関係について、玄兎さんの仰る通り「自己評価を絶対的な物差しとして、向上は自省によってのみ促される」というご理解で結構です。「自分が面白いと思う」ように遊ぶことに「向上」があるか、はともかくとして。
どうにかして具体像を示すべく、今回から「自由に遊ぶ」ゲームプレイに向いたシナリオの作成例と運用例とを示してまいります。まずは「ダンジョンシナリオ」を取り上げ、その作成について考えてみます。
玄兎さんからトラックバックをいただきました。有難うございます。
説明の拙さを反省し、再度の説明を申し上げます。「他人を褒めることを強要する」から「自由に遊ぶ」ゲームプレイに向かないわけではないのです。
高橋志臣(gginc)さんと玄兎さんからトラックバックをいただきました。有難うございます。
先に結論。「反省会」という名称使用へのご忠告には感謝しますが、これを変えることには意義を感じません。
xenothさんからトラックバックをいただきました。有難うございます。
xenothさんの考える「コスト概念」「リターン概念」「リスク概念」について、概ね了解しました。
ただ、例に登場する「Bさん」ら他のプレイヤーが「観客」のようであるのが気になります。最終的な「コスト」評価は、状況の変化にどう対処するかによって変わる、と考えます。そこで、例として考える範囲を、もう少し広げていただきたいと思います。
acceleratorさんからトラックバックをいただきました。有難うございます。
「個人的エピソード」の件、私も気がつきませんで、恐縮です。そういうことでしたら、私自身のプレイ歴というか、その内容の変遷のため、と説明できます。
「自由に遊ぶ」ゲームプレイの位置づけを明らかにする二つめの論考では、卓上RPGへの接し方を、野球に喩えつつ、分類します。
卓上RPGに対してその遊び手がどのように接するか、その多様性を理解するにはゲーム経験の量ではなく幅が必要です。その体験差を埋めるために、ここでは「野球を楽しむ」という別の行為を例にとって説明します。大項目は三つ。
xenothさんからトラックバックをいただきました。有難うございます。
「行動の自由」の行使には「コスト」がある、ということなら異論ありません。柔軟に対応してくださり、感謝いたします。
「コストの定義」に示された数式については、分からなくなったら質問しますので、どうぞよろしくお願いします。
xenothさんからトラックバックをいただきました。有難うございます。
語に厳密を期すなら、「自由はあっても現実的には不可能」「自由はあっても事実上不可能」という状況はありません。
ただし「自由があるのでやってみたら失敗した」とか「自由はあっても難しそうなのでやらなかった」という状況なら、あります。
もし本当に「不可能」なことなら、それを行う「自由」はありません。「1億円のマンション」の購入は可能なこと。
「自由に遊ぶ」ゲームプレイの位置づけを示すため、論考を二本示します。一つめは、卓上RPGの面白さを、喩えとして適当であるかはともかくとして、「理系」「文系」「体育系」の三種に分類するものです。
gginc(高橋志臣)さんからいただいたご意見について、トラックバックはいただけませんでしたが、簡略にお返事させていただきます。(※3月17日現在、トラックバックをいただいたことを確認しました。有難うございました。)
私は「進行管理」を否定しているのではありません。その対照概念である「自由」について語っているのです。「A」ではない「非A」を示すのが、「A」の否定では無いように。そうして「自由」を復興、復権させて、「自由」と「管理」とが選択肢として併存することを望んでいます。
xenothさんからトラックバックをいただきました。有難うございます。
と、有り難くは思うものの、xenothさんの主張が何なのか正直よく分かりません。「コストパフォーマンスの悪い行動をする自由など無い」と仰りたいのでしょうか?その「コストパフォーマンス」というのも、xenothさんが価値があると思うか否か、で判断されているようですが。
gginc(高橋志臣)さんからトラックバックをいただきました。有難うございます。
結論から言いますと、私が語った論旨について(項目1)は概ね正確に読み取っていただいているようですが、その意義等について(2と3)は真逆の評価をなさっているようです。何故そうなるかと言えば、卓上RPGの全体像、その歴史的経緯についての見解が、ggincさんと私とで異なっているためと思われます。
acceleratorさんとにゃあさんからトラックバックをいただきました。有難うございます。
Googleの件は別途書きましたので、それ以外についてお返事いたします。
今回は取り急ぎ、acceleratorさんからご指摘いただいた件について。
ご指摘に感謝しますと共に、この問題は解決しましたことをご報告します。
しばらく前にダークファンタジーRPG『深淵』の第二版(エンターブレイン)を買いました。このゲームをこよなく愛する友人のお陰で過去に幾度かプレイ、独特な遊戯感を楽しませてもらいました。
しかしながら、私はそのルールシステムには不満があります。「美しい物語」を目指す割には、少なくとも私の感性では、「美しいルールシステム」と思えない辺りとか。そこで今回、私なりの改竄案(改良ではない)を示したいと思います。