「自由に遊ぶ」ための三つの心得、最後は「ロールプレイは不要」ということです。「ロールプレイングゲーム」なのに「ロールプレイは不要」、とは奇妙に思われるでしょう。
ここで言う「ロールプレイ」とは、キャラクターの「ロール」を元に「キャラクターはどうするだろうか」と想像すること全般を指します。「ロール」には、性格や嗜癖などの人格設定、生育環境や社交関係などの背景設定、また職能などに基づく「期待される役割」「○○らしさ」などが含まれます。そして、それら「ロール」とキャラクターの行動とは常に整合すべきであり、プレイヤーの恣意やシナリオの都合によって曲げてはならない、と考えるわけです。
しかし、「自由に遊ぶ」ゲームプレイでは、「ロールプレイは不要」です。
ここでは何よりもプレイヤーの自由な発想や判断が最優先されますから、それに大なり小なり制限や変更を強いる「ロールプレイ」は邪魔者なのです。いっそ「ロールプレイは不要」と撤廃すれば、プレイヤー自身の判断だけで行動を決めなくてはなりませんから、合理的です。
「誇り高く勇敢だが猫が苦手な戦士」も「学界から追放された野心溢れる学者」も不要、「戦士らしさ」や「学者らしさ」も要りません。ただの戦士や学者、あとはルールシステムから与えられたデータだけで十分です。その「駒」をどう動かすか、プレイヤーはそれに専念するのみです。
…では、「自由に遊ぶ」ゲームプレイの中に「ロールプレイ」はまったく無いのでしょうか?
否。ゲームプレイの前には無かった「ロール」は、ゲームプレイの最中に自然と生じます。キャラクターにさせた行動や、他のキャラクターとのやり取りなどが蓄積して、過去の経験としての「ロール」を形成していくのです。例えば、「弱きを助ける」性格ではなく「弱きを助けた」経験が、キャラクターの一部となります。それらは、シナリオや他のキャラクター、プレイヤーの発想とが密接に結びついてできたものですから、ゲームプレイに機能不全を起こすことはまずありません。
なお、非プレイヤーキャラクター(NPC)においては「ロールプレイ」が行われます。この詳細については後述します。
「ロールプレイは不要」でも、「自由に遊ぶ」ことから必要最低限の「ロールプレイ」は自然と生じます。これが「自由に遊ぶ」ゲームプレイにおける第三の心得です。
次回からは、これらの心得をどのように実践していくか、ゲームプレイの進行に順じて述べてまいります。