acceleratorさんから、再度トラックバックをいただきました。労をお掛けしたことをお詫びすると共に感謝申し上げ、遅ればせながらお返事をしたためます。
- 自由度の切り分け 共同ゲームデザイン 行動宣言およびシーン作成における選択肢の幅 (acceleratorさん、ブレーキをかけながらアクセルを踏み込む)
上記論考は拝読しております。例えば拙論「自由度と自由とは別物」は、acceleratorさんが説かれた「自由、自由度っていうのは、非常に多岐な側面があり、まず切り分けないと話にならないと思います」という一文に刺激されて書いたものです。ただ、当方のトラックバック障害について記された注記を、どうしたわけか読まなかったようで、気づくのが遅れましたこと大変恐縮しております。
さて、改めまして、貴論考について少し述べます。
「ゴールデンルール」というのは、キャラクターではなく、プレイヤーを「管理」するための(一環としての)ルールである、と私は考えています。ある意味マナーと同じですが、社会的にではなく、ゲーム運用上で都合良い行動をとらせよう、ということでしょう。私がいう「自由」がこれらに近い、というご指摘は的確です。余談ですが、つい先日のR&R(vol.38)で説かれた「グランドルール」はちょっと違うように思います。
「自由度」の分類については、楽しく読ませていただきました。ただ、上記拙論でも書いた通り、「管理」下では「自由度」の高さは、あまり意味が無いか、むしろ有害となります。というか、それが「害」となるように「進化」してしまったわけですが。
ところで、卓上RPGにおける「PCの目標」の「自由度」は、本来低くありません。例えばキャンペーンプレイでは、プレイヤーが決めたPCの目標に合わせてシナリオを作れたわけで。もちろん作らない人もいましたが。長期的にみると、色々な事情で「低くした」といった方が正確です。
なお、acceleratorさんの労作「きまぐれTRPGニュース」は、「TRPG Search」と並んで、私がブログ記事を探す際のツールとして毎日拝見しております。私は論考を選別することには批判的ですが、話題別にまとめることには賛成で、ご労苦に深く敬意を表します。今後のご活躍を応援しております。