「自由」についての論考を方々で拝読し、一度確認しておくべき、と考えたことについて書きます。トラックバックは特に送りません。ひとつめは、「自由がある」ことと、その「自由が許される」こととについて。
私は、「自由がある」ことと、その「自由が許される」あるいは「認められる」「受け入れられる」こととは、別の問題である、と考えています。少なくとも、別に考えた方が良い、と。
続きを読む: 自由があること、許されること
「自由」についての論考を方々で拝読し、一度確認しておくべき、と考えたことについて書きます。トラックバックは特に送りません。ひとつめは、「自由がある」ことと、その「自由が許される」こととについて。
私は、「自由がある」ことと、その「自由が許される」あるいは「認められる」「受け入れられる」こととは、別の問題である、と考えています。少なくとも、別に考えた方が良い、と。
結論は「YES」なのですけど。
「理想的な遊び方」とは、gginc(高橋志臣)さんが提唱された三つの遊び方のひとつです。初出は同氏のブログですが、同じ概念がScoops RPGでは「理想主義的な運用」として、次のように定義されました。
xenothさんからトラックバックをいただきました。有難うございます。
xenothさんの論考は、まさに「管理」の背景にある発想、「管理」を生み出す考え方であろう、と私は考えました。即ち、「面白いゲームプレイをやりたい」「つまらないゲームプレイはやりたくない」という欲求こそが「管理」を求めるのです。以下、その辺をつらつらと。
今回は井上純弌氏が説く二種類の「自由」、即ち「何をやってもいい」ことと「準備しなくていい」こととが、「シナリオクラフト」で本当に実現されているか、考えてみます。
回転翼さんからトラックバックをいただきました。大変良いご指摘に感謝します。