前々からあったことですが、「議論」という言葉に過剰反応する方を、時折見受けます。おかしなことです。
同じ問題について意見を述べ合うことが「議論」です。誰かが述べた意見に対し、自分の意見を述べる。この時点で「議論」は始まっているのです。そうなれば自然と、更なる意見を述べ合い、合意点を見つけようともするでしょう。が、合意に至らなくても過程は「議論」と呼ばれるのですから、合意そのものは不可欠な条件ではありません。やはり主体は意見の述べ合いなのです。
そうなると、「自分の意見は言うけど、議論はしたくない」というのは自己矛盾そのものです。会議で発言した後で、会議への欠席を表明するようなことですから。それとも、自分には相手に意見を言う権利があるけど、相手には同じ意見がない、とでも考えているのでしょうか?だとしても、言えば言われるのがコミュニケーションというものですが…。
同じ意味でも「ディスカッション」と英語(カタカナ)なら抵抗が無い人もいるようです。もしかして「議論」という言葉だけを嫌っているなら、「言葉狩り」のようなものなのかも知れません。もっとも、私も最近は「意見交換」という語を使っていたのですが。